善や悪といった概念は、客観的なものではない それらは、個人の頭の中にしか存在しない
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2005年03月28日(月) |
夢の中のような主人公 |
映画「アビエイター」を観にいった。 最近はスターと言えるようなハリウッドの俳優女優がいない気がするが、僕にとってディカプリオは別だ。 僕は、今後も、ディカプリオの新作にはいち早く駆けつけるだろう。 演技のうまい俳優女優というのはいくらでもいる。 しかし、彼のように華のある容姿をもった、スター性のある俳優が、あれほど隙のない演技を魅せつけてくれると、もう最高としかいいようがない。 とにかく彼の演技だけでも、映画は見ごたえのあるものになっていると思う。 もちろん他にも「アビエイター」には観客を虜にする要素はあるが。 やや中盤辺りがダルいようにも感じたが、それでもお釣りのくる作品だった。 狂気の主人公を描かせたら、スコセッシ(監督)の右に出るものはいない、と思う。
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ついしん 映画を観たいんだけどどんなのがいいのかわからないというあなた。 そんなあなたには、スコセッシ監督の代表作「タクシードライバー」(主演:ロバート・デ・ニーロ)をお勧めします。
今日のタモリは、本気でテレフォンショッキングのゲストのお土産に喜んでいた。
―DND―
2005年03月17日(木) |
私は毎日、○○を欠かさず飲んでいます。 |
毎朝野菜ジュースを飲んでいる人、私は毎日黒酢を飲んでいるという人、テレビや雑誌で紹介されている毎日続けて飲めば効果があるという広告を信じて購入している人、更に何と何と何のサプリメントを欠かさない人、そんな人の中で、朝食を食べない人、生活が不規則な人、夜に甘いものを大量につまむ人がいるというのは面白い。例えば毎朝野菜ジュースを飲んでいようが、その為朝食のバリエーションが減ったりしていては意味がないし、ましてや野菜ジュース以外は忙しくて食べない飲まないという人がいるとしたら、なんて無茶なんだろうと思うが面白いことを口にするだけでは物足りない人なんだろうから是非そのままでいて欲しいものである。しかし実践するにはお金がかかるだろうなあ。とても僕にはマネができんなあ。それに体をはっている点で言えば芸人以上だ、寿命に関わることだものなあ。
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ついしん ちなみに僕の健康法は、上記の様なことをしないことである。
幸福って何ですか?という問いに即座に答えられるほど、それははっきりとしたものではないのは皆さんご承知でしょう。 ただ、一つ言えるのが、自分にとって当たり前のことが、幸せの要素の一つではないか、ということだ。 本人が気に入ろうがそうでなかろうが、現時点の自分のパーソナリティは、数々の要素によって構成されていて、例えば家族という要素一つでも、欠けてしまえば今の自分はないのである。 人はおそらく、常に現状の自分に満足したいという欲求があり、それは完璧には不可能である。 しかし、より満足したいという欲求に必要なのが、現時点にある当たり前の要素の数々である。 当たり前のように自分に対してあるものだからこそ、実感はし辛いが、そういう無意識に取り込まれてきたものたちを、再認識もしくは初めて認識したときに、幸せは実感できるのではないだろうか。 ただ、幸せな時よりも、比較的不幸せな時に、より人は幸せを感じやすい、悲しいかな。 失って初めて、それの大切さがよくわかる、と言われるのも、そういうことなのだろう。
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「他人に迷惑をかける人間には、罰が与えられるんだよ」 「どんな罰があるの?」 「例えば一番重い罰には死刑というのがあるんだよ」 「ああ、でもあれって一番重い気がしないよ。死んだらそれ以上嫌な目に合わなくて済むじゃない」
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「人間は生き物の中で一番強いんだよ」 「弱いものいじめはよくない」 こう教えられた子が、よその家の飼い犬の頭を撫でようとして、手を噛まれたという。
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2005年03月10日(木) |
定義したがる定義できないものたち |
一般的に非人道的な、とか人間らしくないと言われる行為ほど、人間しかしない。 また、反対に人間らしい行為と言われるものも、人間しかしない。 人間らしさは、人間社会に適応しやすい人間が持っているものに過ぎず、人間の本質とはほど遠いものである。
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温暖化が進んでいると言われている。 温暖化の原因は、自然の一部であったはずの人間が、そうであることを拒むかのような振る舞いを行ってきたからであろう。 そうまでして快適な環境で暮らしている人間だから、夏でもサラリーマンはスーツを着て室内で仕事をしている。 確かにスーツは人工的な環境には適している。 しかし、一歩外に出ると、それは適した服装とは言えない。
温暖化がさらに進めば、どんな服装でも外を歩くのは大変になるだろう。 さて、このまま人間は自然に対抗していけるのか。 それとも、自然に還っていくのだろうか。 一度自然から距離をおいた人間が、自然に還るとは思えない。 きっと、人は自然を科学の力でコントロールしていくだろう。 人間が人間がのためにすることに罪などないと、人間は決めている。 自然は、敵でも味方でもない。 生かすも殺すも、我々次第である。
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僕の携帯電話は猫のミャーである。誰かから電話やメールがくると、ミャーは「ミャー」と鳴く。電話がかかってきた場合はミャーの頭を撫でてやる。するとミャーの口がスピーカーの役割を果たし、そこから相手の声が聞こえてくる。まるでミャー自身が話しているみたいで、かけてきた相手と話しているにも関わらず、ミャーと話をしている気分になる。メールが来ると、ミャーはやわらかい土の地面のところに行き、前足で文章を掘る。固い土の地面しかない場合、ミャーはそこにおしっこをし、なるべくやわらかくする。反対にミャーを通じて電話やメールをする場合、ミャーに向かって話すだけでいい。電話をする場合はかけたい相手のことを思いながら頭を撫で、メールの場合は、相手のことを思いながら、いきなりミャーに話しかけるといい。問題なのは、電話をがかかってこない時も「ミャー」と鳴くことである。ちなみにミャーに電話を、つまり僕に電話をかけたい人は、クローン技術で生まれたミャーを購入していただかないといけない。
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