2002年05月24日(金) |
力を抜くということは、怠けるということじゃない。 |
○最近、力の抜き方を覚えた。
○「ちょっと今サッカーの映像ばっかりでしょ?ちょっともう・・・恥ずかしいけど寝られへんもん」「寝なあかんで。」 W杯の迫る最近、サッカー好きの矢部は、それ関連の特集を組んだ番組が気になって眠れない夜を過ごしているのだという。だから「寝られへんもん」と言っているのだけど、それに対してあっさり「寝なあかんで。」と言った岡村に笑ってしまった。 明らかに脱力系のボケだ。
○最近、ますます関根さんが好きだ。 昨日の「デラックス」で、関根さんは共演者からこう言われていた。 「お前の、共演者の一人しか笑わないようなクダラナイギャグが好きだ。最近ソレが少ないな。例えばタモリしか笑っていないようなギャクとかな、前は言ってたよな。あれ、俺好きなんだよ」by大橋巨泉 「関根さんは<自分はかなりのMだ>というくせに、わたしにイヤラシイ事を言ってくる。それが嫌なんじゃないんですけど、ちょっとうれしいくらいで、でも恥ずかしいんですよ。ちょっと脇見せてよ、とか言われるんですけどね。」by小池栄子 僕はそんな事を言われる関根さんが好きだ。 あと、今日のいいともで、僕は巨泉さんの言うくだらないギャグらしき発言を聞いた。 例えば、ステージに上がったある素人の顔を見て、「○○が××したみたいな方ですね」と関根さんが言うとする。 その場合、その○○がマニアックすぎて、たまに分からなかったりするのである。 しかし僕は、その分からない事を言っているのが面白いと思っている。 笑いというのは、何かを崩していくということであると僕は思う。 そして、崩しながらその場の雰囲気を構築していくのである。 ある人がステージに立ってて、その人に対して関根さんが何かくだらない事を言う事が、<構築>であり、その人に対して関根さんが言ったギャグを<崩し>だと僕は考えている。 その場の雰囲気を構築していきながら、相手やお客の気持ちを緩ませ、今までその場に流れていた日常のそれを<崩す>のは、そんなに生易しい事ではない。 しかし、関根さんは、常に果敢にそれに挑戦しているように思える。 そんな関根さんが僕は好きだ。
―END―
◇謎は謎のままに終わらない? 昔、剣道の道場にかけてあったか、それか貼ってあった教訓のようなものが記されたものには、(其の一、………。其の一・・……。其の一……。)と箇条書きになっていた。何でいつまでたっても其の一、其の一なのだろうか?とよく思ったものだ。
◇哲学? 自分にとって影響を与えてくれる小説やノンフィクションの書物、または、漫画や音楽、映画といったものは、長い洞窟の入り口でしかない。 もっと言うなら、人一人の前には、長いトンネルと言うものがいくつでも出現する可能性がある。そしてそれがいつ出現するのかは分からない。 想いや現実は、それらの影響を与えるようなものとはある程度の距離があって、互いに、複雑に絡んでいたり、そうでもなかったりする。 昔引っかかったある小説のワンフレーズが今の自分と繋がり、そんな自分が昨日観たロードショウと出会い、それが僕にとっての例のワンフレーズと共鳴し合い、それが僕に何かを思わせたりするのである。
◇ミスチル かっこよくて、面白くて、気持ちのいいアルバム―It’s a wonderful world/Mr.Children いまでこそ、みすたーちるどれん。 その言葉を、その語感を呪文のようになぞりながら呟いてみると、何か不思議な気持ちになる。
◇「模倣犯」について 今、僕は「模倣犯」を少しづつ立ち読みしている。 時には名古屋駅付近の地下街の本屋で、 時には近所のチェーン店で座りながら読んでいる。
その店には親切にも椅子が置いてあり、そこで読んでいるが、その親切さの裏側にあるものを想像したりして偶に楽しんでもいる。 ところでその本を読んでいて思った事がある。 作者は自分自身が、この小説の顔であると言っていいキャラクター<ピース>に似ている所がある、と言ったらしい。それはどういう事なのか?
<ピース>は、僕からしてみれば救いようがなく、とんでもない奴だ!と言った感想を持たせるような犯罪者だ。いや、救いようがないというか、救いたくない。もし本当にこういう人物がいたら、それでも彼と同じ空気を吸わないといけないのだろうし、僕の見上げる空と、彼の目に止まった雲一つない空の景色は、どうしても繋がっているのである。それが現実なのだと…まぁ小説の人物と自分を比べる事がいいのか悪いのか、それか、そのどちらでもないのだとしても…<ピース>というのは自分の物差しから言わしてもらうなら、気のおかしな奴である。しかし、そう思う一方で、何故か、自分の中にも<ピース>という奴を構成している成分が少しは入っているのだろうか?こういう男と似たような所は無いか?ということを考えさせられる。そして実際にそうなんだろうなあ、ということを思ったりもする。やっぱり、「こいつの考えていることなんてちっとも解りゃしない!!」と言いきれはしない所が怖い。さっき著者が言った(私は<ピース>と似た所がある。)と爆弾発言にも聞こえるその言葉の意味は、僕が、言い切れはしない、と思った途端に分かったような気がした。
そうやって考えると、<ピース>の言っている事、やっている事が分かる部分というものを自分と照らし合わせてみると、妙に彼との距離が縮まったような気がして怖い。彼のどの部分かが<分かった>のである。そして僕や著者がピースに対して分かる事に限らず、人は人を理解しようとする時、(分かる部分がある。)と内心部分的にしか分かっていないと言う事が多いのではないだろうか?そうであるなら、すべてを分かったように錯覚する事も怖いし、部分的にしか分からない相手の事を何も知らないんだと勘違いすると言う事はオカシイ。大切なのは、相手と共鳴できるのはどの点についてなのか?ということだろう。
また、同じ小説には<ピース>以外にも、作中の連続殺人事件に関わったように思われる人物が二人いて、それらは<ピース>の同級生らしい。 今回この小説を映画化するという業を成した森田芳光監督は、彼らをカラーセラピーを元にして色に例えるなら<ピース>は赤、その同級生で親友の栗橋浩美は青、そして栗橋の幼なじみという○○を黄色であると言っていた。 映画で栗橋を演じる俳優は、「自分は、栗橋はどちらかというと<赤>でピースの方が<青>だと思っていた。しかし、それが監督の狙いなのだろう。」と言う。
因みに僕は、監督の言っている事が分かるような気がした。 (まだ原作を四分の一しか読んでいないので、推測の部分も多いが)三人はどういう形にしろ作中の犯罪に荷担していて、それぞれによってどのくらい関わったかというのは大きな違いがある。しかし、それを抜きに考えたとして…その犯罪に手を染めた事以外にも、そのキャラクターの今までというものも含め、本文や行間から読み取れる事を見渡して考えた場合…栗橋という人間が一番哀れなんだと思った。そう感じた。
これだけの事を思わせる小説を書いてしまう著者は凄い!…と思う。 そう、こんな小説を書いてしまった人って、どんな人なんだろうという、考えても意味の無い事を考えてしまったりもまたするのである。 しかし、一つ言える事は、例えば<ピース>という奴が狂っている奴だと言えるなら、この<ピース>というキャラクターを始め、この物語全体を語っている作者、宮部みゆきという人は、一般的な人だろうという事だ。
実に<一般的>という言葉は曖昧で、定かなものではないが、それは漫才コンビのつっこみの方が、ボケに対して指摘する事が皆正しいと思うことを考えれば、すこしは具体的に実感の出来る言葉にもなり得る。 要は、宮部と言う人は、つっこみの指摘するような事を実際に、実際に考える事が出来る…簡単に言えば、常識人なのだと言う事を思うのである。(因みに、漫才のボケを担当する人、またはボケの発する<ぼけ>を考える人というのは、常識的な感性の持ち主でなければボケを考える事、生み出す事は出来ないということを実際の漫才師の人達は言っているし、僕も同感する所だ。要は漫才師は、どちらの役割の人も、自分の言っている事を理解していると仮定するならば、どちら常識人に違いないということが言いたい。よくTVの視聴者の中で、ボケの人ってのはアホだろう、と思っている人がいるが、それは大きな間違いである。) ということなので、この著者は色んな角度から物事を考えられる人で、(抽象的な表現ではあるが)ごくどこにでもいるような人であり、それに加えて物語りを想像する事が、そして彼女の場合は物事をよりリアルに観察する能力に長けているんだ、と考える事が出来る。
彼女というのは、人と会話を交わす時、どんなんだろう?というのは少し気になりはする。 相手に(この人は小説家で、小説の登場人物のように表向きの発言と、心の中で思っていることは違うんではないか?もしかしたら彼女は彼女の作り出す登場人物そのものなのではないか?とするとこの人は今僕と会話を交わしている最中にも、どんな事を思いながら喋っているのだろう?もしかしたら<ピース>のように、あの「模倣犯」というベストセラー小説の中の<ピース>のように、とんでもない事をかんがえているのではなかろうか?)…などと思われるのはきっと嫌だろうし、「そんな事はない」と言うだろうし、実際そうだろう。
僕は、この作者は普段誰彼と会話をする時、少なくとも自分に嘘は付くような人ではない気がする。それは彼女以外の大衆だって、僕だって。完璧にとは言えないが為し得る事であり、逆にそうでない人もいるだろう。とにかく、彼女は実際に人と交わす<発言>と、心の中で思っている<考え><感情>は、なるべく近づけている、もしくは自然にそうなっているのだろうという仮説を僕は考えた。まぁだからと言ってそれがどうだ、というわけではないが、特にフィクションを創作する作者、というのは、謎だ、と言う事が僕は言いたい。んー、自分でそう言っててよく分からないが、何だかそれだけこの小説やこの著者の<宮部みゆき>という人に僕は興味と関心を持っていて、実際にそのどちらからもこの人は凄いな、というのを感じ、最近話題になっている人だが、ただの<話題の人>で終わるはずがないな、というような思いを僕に感じさせると言う事である。
追伸、僕は最近、自分の中の<観念論>と<感情論>を結び付けようと必死だ。
追伸、僕は小説家にはなりたくない。だって、あの長さがなんといってもキツイい。映画に例えるなら、どんなに内容がいいものでも、尺が長いと台無しになってしまう感じと似ている。僕がいい内容、いい仕事が出来そうな小説の内容を思い付いたとしても、あんなに一連の話を綴るということが僕の中ではキツい。
―END― ふぅ・・・。
2002年05月14日(火) |
ボクハ ネツイニ ヨワイノダロウカ? |
6月に映画「模倣犯」が公開される。 とても楽しみだ。 何かパワーのある作品に仕上がるような気がする。 日本アカデミー賞もいくつか取りそうな気がする。 もしかしたら本家のアカデミー賞の外国映画賞の部門にノミネートくらいはされるんでは?という期待もある。 昨年の「GO」は出品したらしいが、ノミネートされなかった。 「GO」はアメリカの国の人には身近ではない民族問題の絡んだ話だから、それもしかたがないな、と思った。 しかし、「模倣犯」は…。 そんな期待を沸かせてくれる映画が、「模倣犯」
主演はSMAPのリーダーでおなじみの中居正広、通称中居くん。 そのニュースを聞いた時、僕はピンときた。 僕は原作を読破した訳ではない。(頭の50Pくらいは読んだ。) しかし、あらすじから「全体はどういうような物語なのか?」というのを想像したり、インターネットで飛び交う情報を踏まえ、そして原作を踏まえたストーリーが<映画>というスクリーンに映像として映るということを考えていると、どうしても期待値は僕の中で膨らむばかりなのだ。
僕は今年で21歳だ。 映画に興味を持ち始めたのは16歳になった歳だ。 そのころは「タイタニック」にはハマり、計4回も劇場に足を運んだ。 映画というものを見慣れていなかった僕にとって、「タイタニック」は衝撃だった。 なによりあのダイナミックな所に惹かれた。 時は経て、僕はビデオも含め、というよりもビデオで見る事の方がどうしても多いが、数は少ないにしろ、いろんなジャンルの映画を見てきた。 因みに今一番好きな映画は「フェイス/オフ」である。 そして僕は自分の中の映画BEST10から、「タイタニック」が消えている事に気が付いた。
「模倣犯」が僕にとってどんな映画になるのかは見てみないと分からないが、「フェイス/オフ」や他の好きな映画とも違うようなこの映画を僕は劇場で目撃する事になるだろう。 さっき、僕は「模倣犯」関連の情報をインターネットで眺めていた。 スタッフやキャストのこの映画にかける意気込みを垣間見て、涙が湧いてきた。 僕はこういうのに弱い(=涙する)男だ。 「モンスターズ・インク」を劇場に観にいった時、エンドロールが流れる中、「こんな映画を作った監督をはじめスタッフの人達は凄いな…」と思い、涙した。 それと似たようなものを、感じたのだ。 まさにそれは、熱意に感動したことによって沸いてきた感情(=涙)なのだろう。
―THE END―
2002年05月04日(土) |
「今日が初めての初舞台です」byラジオ |
〈走る映画館〉 僕にとっての映画が、母にとっての運転か?と思うと、母の運転の車に乗っている僕はある意味映画を見ているようなもんか、と思うと何だかワクワクしてきた。ま、ひさしぶりの家族での日帰り旅行ということで、目的地へ向かう途中だからそう思うのかもしれない。
〈確認作業〉おばあちゃんはなんでも名称を声に出して読む。僕も歳をとったらそうなるんだろうか?たまに唐突に声をあげ、意味ありげに納得していそうだな。
〈長いトンネル〉長いトンネルは感覚が狂う。いやこれ、実際の話。初めは普段に感じない感覚を体感できている事に優越感を持っていたが、次第に一言で言うと気持ち悪くなってきた。体の側面を誰かがそっと、それでいて確実に任務を追行するかのように押しているような気がした。
〈東名阪走行中〉母の運転する車が東名阪を走っている。先を、松本の車のナンバーが行く。母は言う。「松本から来てる…あ、これも松本…」「人志!」「松本から二台も来てる…」「人志!」そう反応してしまう僕だった。 ※お笑い芸人に「松本人志」という人がいる。僕はその人のファンである。
〈番地と(映画監督)〉
〈忍者はカワイイ?〉
〈折り目のついた雑誌〉
〈続折り目のついた雑誌〉
無責任な奴が多すぎ! 若い奴とかね。 「あゆが首相になればいい」ってアホか! アホすぎる! お前なんて駐車場の広いレストランでの車庫入れさえも失敗しろ! ギャグで言ってるならいいんだけど… ヒトは〈愛〉だけでは生きられないんだよ。 ここで言いたい<愛>ってのは、つまり<あゆ>という存在を偶像として見ている 人達の気持ちの事なのだけれど。 まぁ、あゆの言う事が日本を動かすなんて言ってるようじゃ、何も政治のこと考えてないって言ってるようなもんじゃねーかよ!ってことなんだよなー。 あゆが世の中にどんな影響を与えているか、ってことも分かんないのかよ! わかんないならわかんないって言えよ! そんな簡単なもんじゃねーっつーの!って今僕が言ってることに対して「分からない」ってもし「あゆが首相に…」って言ってた奴が言ったらもう僕はどうしたらいい? そうやって馬鹿な事をリポーターに堂々と言っている奴は、まぁ一言で言えば<裸の王様>だね、まさに。 唯一、あゆが首相になって欲しいと願う人達の果たした社会的義務は、国民に、自分達が馬鹿だって事を教えている点に尽きるよ。
―THE END―
ついしん1、僕はあゆの事は立派だと思ってる。 ついしん2、次にバトンを繋げる事のエクスタシーをもっと知りなさい、あゆを首相にさせたい人は!自分の事しか分からないなんて言ってたら、そのうち身動きとれなくなるよ、まじで。後悔を胸に一生を終えると言うかね・・・まず自分の事を考えるのは必要だけど、それだけじゃ、自分の事さえも考えてない事になるんだよなー周り回って・・・あぁ僕は今深い事言ってる♪(自己満足中)
<拝啓松本人志様> 拝啓松本人志様 残念ながら僕が生きている間に 僕はあなたを超えることが出来ないかもしれないという事実が なかなか揺るぎそうにもありません そのことを「寸止め海峡(仮題)」を見てより一層強く思う今日この頃です ま、あなたにとってはそんな事は痛くも痒くもないでしょーがね 僕がどんなことを思っていようが何ともないいんでしょーがね しかし すくなくとも僕にとってはそれはとっても残念な事で それはとっても残念なことで 腹が煮え繰り返りそうになる時もあります 一言で言うと「悔しい」ということでしょーか あなたが「寸止め海峡」なら 「海峡って何?」というものでも作りましょーか? もちろん 海峡の意味ぐらい知っていてこその「海峡って何?」ですが いや まだまだ違うような気がしてきました 「海峡の渡らない」 というのはどうでしょーか?
<ヨーヨー> ヨーヨーは、糸が切れたらもうおしまい。
<僕は宇宙人> じゃないよ!!
<遅い昼飯は粋> 今日は朝飯を正午過ぎに食べた。 そして、コンビニで買ってきた昼食を午後三時半過ぎに食べた。 今日の昼食は自分の中では粋なものだった。 コンビニから帰り、キッチンの机の上に軟骨のから揚げと、カップの鮭茶漬けを並 べた。 面倒くさいなあと思いながら、ご飯のみをチンし、それをカップに戻してお茶漬けの素をパッパッと入れ、少しかき混ぜてお茶漬けを完成させた。 買ってきてから、これよりもお茶漬けの素だけ買ってきた方が、家で食べる分には困らない分安いなという事に気が付いた。 僕の買ってきたのは、ご飯も付いているやつだった。 かなりもったいない事をした。 それにしても、軟骨とお茶漬けなんて、かなり粋でしょ? 一方はコリコリで、もう一方はサラサラよ? 僕の中では完璧に近い組み合わせなんで、幸せでした。
<色白いのが好きなおばあちゃんと、窒息した指先> ・・・ ちょっと狂っているなと思ったので、「狂ってるよ」と言ってあげた。
<今時の曲についての母の意見> ・・・
―END―
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