BSはカミさんのテレビでしか見られないので昨夜はヘンデルの「天地創造」を聴いたあとカミさんを追い出してフェイエノールトの小野クンのプレーを後半だけ見た。このところ外国チームの試合を見る機会がふえて私のサッカー観も深くなってきた。海外で武者修行をしている選手たちが来年頑張ってくれると予選突破も可能かも知れないゾ。
明治38年27歳だった永井荷風はアメリカ滞在中生活費かせぎのために知人のつてでワシントン日本公使館の小使いとして4ケ月は働いた。ここでの生活経験をもとにして海外勤務の外交官の生活ぶりを知りフランス大使館に勤務する男の自堕落な生活を描いた「放蕩」という小説を書いたら「官憲侮辱の咎」で発禁処分を受ける。明治42年の話。外務省というのはこういう歴史があるのだ。
敗れたボカの選手たちは号泣していた。「国立競技場に涙を残して選手たちは去って行きます」というアナウンサーの名文句も雰囲気をよく伝えていた。スピードとパワー、そしてテクニック。これぞ一級のサッカーという試合だった。それに比べるとトルシェ・ジャポンは小粒で見劣りがする。W杯開催国で決勝トーナメントに進出できなかった国はまだないらしいが日本も韓国もまだ一勝もしていないのだから来年はちと心配だ。
風呂場にストーブが欲しいとカミさんがいう。お湯でぬくもるのだから一番暖房が要らない場所だと思うのだが、脱衣した時ゾッとなる瞬間があぶないのだというのだ。「おとうさんも年なんだから気をつけなくっちゃ」といってきかないので小型の電気ストーブを買ってきた。ついでにトイレにも一台設置してノーイッケツを防ぐことにした。コタツにつづいてストーブも用意して冬支度は完了。
2001年11月26日(月) |
世界遺産(?)、関之尾甌穴群 |
都城盆地の中央に位置する都城市。その都城が世界に誇るものが、大自然の力が造り出した造形美「関之尾滝・甌穴群」だ。
世界有数の甌穴群で滝の上流の川床には1万年前から削られた無数の甌穴が600メートル、最大幅80メートルにわたって広がり、世界有数のスケールだ。この日は残念ながら水かさがあり、甌穴は見えなかったが、大小さまざまな形をした石が点在。甌穴群は霧島山地のすそ野からわきでる清流が造り上げたもので、甌穴は砂粒や小石を巻き込んだ急流が渦を巻いて川床の軟らかい所を丸く削り込み、さらにそこに落ち込んだ石が水の流れによって回転し、穴を大きく広げて造られるという。現在も進行中で、このような甌穴群は世界でも珍しく、地質学上貴重なものといわれている。(Web版日刊スポーツ・26日)
朝日新聞が大学生はおろか新聞記者でさえ読めないという漢字を30字ばかりリストアップして紹介していた(24日)。目をとおしてみると幸い私は全部読めた。自慢でなく私と同世代かそれ以前の人ならたいてい読みこなせる字ではないかと思った。時の流れとともにことばは変化し使われなくなってしまうので若者に読めなくなるのも仕方がないのかも知れない。リストアップされた31語は以下のとおり。 「領袖」「青嵐」「熟柿」「鶴首」「好餌」「瓦解」「産駒」「脇息」「蜜月」「卒塔婆」「錦秋」「牙城」「戴冠式」「参詣」「馬子唄」「蜂起」「汎用」「丼」「曾祖父」「虹彩」「未曾有」「外様」「愛玩」「石臼」「頓挫」「風見鶏」「賭博」「詣でる」「捕捉」「餌付け」「瞳孔」
三連休の中日、隣近所はどこも行楽にでかけて留守、町内はひっそりとしている。「ねぇ、どっか行きましょうよ」とカミさんにせっつかれるが「犬も歩けば棒に当たる。じっとしているのが無事の秘訣だ」と取り合わないで居る。いつもはうるさい隣の製材工場も休みで静謐そのももの小春日和。屋根の雀の足音も聞こえてくるような気がする。
「菊次郎の夏」を観る(BS-i)。「『最後の家族』が始まるまで見ようっと」といっていたカミさんもついおしまいまで見てしまい、母親に会えなかった正男に同情してもらいなきをしていた。カンヌ映画祭のグランプリ候補有力作品として前評判が高かったが見てみて受賞を逸したのも仕方がないと思った。たけしもただひたすら「バカヤロー」を連呼するだけで生活感のないフーテン男の役では現実味がない。
大接戦の末イチローMVP獲得すごいことだ。イチローの実績を偏見を交えずに評価したアメリカの野球記者の目も立派だと思う。ローズの新記録樹立を阻止するために四球ぜめにした日本のプロ野球とは格が違う度量を感じさせるものがある。こんどのテロ騒ぎでもアメリカのご機嫌うかがいばかりしている日本というのも仕方がないことかも知れない。
亡父26回目の忌日。いままでなら姉弟だけでお寺にお参りし午餐をいっしょにとるならわしだったが姉2人が寄る年波に勝てず外出をきらうようになったし弟は9月ボヤを出し現在改築中というせわしさでことしはふたりでお寺に行く。阿弥陀経のあとのお説教は報恩講の宣伝ばかりでつまらなかった。
折り込みチラシに畳屋の広告があって表替を呼びかけたなかで「畳が相当傷んでいる方」「ももうすぐ来客のある方」などにつづいて「不景気をブッ飛ばす気分になりたい方」「新しい畳の上で冷たいビールを飲みたい方」というのがあって畳屋のユーモア精神に笑ってしまった。パソコンを改造するために一時パソコンショップにあずけた際パソコンが使えない状態を「愛人に逃げられたようなさびしさ」と地元ネットの掲示板に書き込んだがひとつもレスが寄せられず無視されてしまったがせっかくの「おやじギャグ」だから笑ってもらいたいものだ。
普段2時ごろ目が覚めてモンモンとすることはよくあることだから昨夜もそれを期待して就寝したが目がさめたのは6時前だった。おかげでしし座流星群を見のがしてしまった。D・アッシャー博士の予言どおり華麗な天体ショーだったというのをテレビで見た。
XPを入れたいのにスペックが弱い。そこで「田舎の秋葉原」を謳い文句にする街のパーツ屋さんにパワーアップを相談したら「五万円で立派になりますよ」というのでつい頼んでしまった。家に帰ると「新品を買ったほうがいいんじゃないの」とカミさんに言われて「それもそうか」と反省したが後の祭。というわけで改造作業のためしばらく「入院」することになったのでその期間日記はお休み。
きのうは一日中MP3の実習ですごした。MP3.COMにフリー会員登録をすると14日間だけMP3ファイルを取り放題にダウンロードできる。英語のWebだからわずかにわかる単語を手がかりの作業だが膨大なクラシックのアーカイブからシューベルトのピアノソナタを探し出して取り込んでCDに焼き込んだ。音楽ファイルは容量が大きいのでそのまま残しておくとたちまちにHDDを食ってしまうのでCDに移植しておくとハードディスクも軽くなるしウォークマンでも聴ける。
真冬でもコタツに入ろうとしないケチなカミさん、新聞のクイズに挑戦していたが「寒いわね」とさっさと炬燵蒲団をだしてコードをつないでもぐり込んだ。15度はあるのだが曇り空でたしかにひんやりした朝だった。きょうが我が家の立冬だ。
何をか天と謂ひ、何をか人と謂ふ。 牛馬四足、これを天と謂ひ、 馬首を落(まと)ひ、牛鼻を穿つ、これを人と謂ふ。(荘子)
人はややもすると、というより、むしろそれが当たり前のように四足の牛馬を、四足の故に「畜生」とさげすんでいるが豈図らんや、牛馬が四足であることこそ自然なのだ。そして自然だからこそ、それは天──絶対的な真と美──なのだ。この天に対して、己の便宜のために馬に面繋(おもがい)を、牛に鼻輪を施して労役を強いる存在。それが人間なのだ、とは全く胸のすくような指摘ではないか。(「橋のない川」第六部)
画伯(元中学美術教師)が顔を見せた。 「いい天気ですなあ。おや、飛行機が飛んでますね。見えますかな」といたわる。 「見えますとも」とまだ目も達者なことを自慢する。白い雲を二本引いて南に向かうジェット機が光っている。「沖縄便ですかな」。 「そうでしょうな。ところで白月さん、『静』という字の意味を知っていますかな。あの字は青に争うと書きますね。あれは青と青がその色の深さを争うというところからできているです。きょうの空の色のようにどこまでも深い青の美しさを言うんでしょう。いま研修センターにいる教え子がおしえてくれたんですよ」ついでにしばらく出世した教え子の自慢話をして帰って行った。 なんだかうさんくさいので藤堂博士の「漢字語源辞典」にあたってみたら「青は審(澄み切ったさま)+争音声、字義には関係ない」とあった。
「アズーリ(青)軍団」といわれるイタリアチームだが昨夜のユニフォームは白だった。それよりも驚いたことはみな美男ぞろいということだった。日本選手もなかなか個性的だけれどとてもイタリアには及ばない。そのまま映画に登場してもおかしくない顔ばかり。おまけにサッカーがうまいときているからうらやましい。遠征の疲労やら日本チームを軽くみていたせいで結果は引き分けだったが試合は明らかにイタリアが圧倒していた。
こよみはよくできたもので立冬の今朝は急に冷え込んで朝6時の室温が8度。ラジオ体操の時間なのに起きられないでグズグズしていた。ここまで書いてあとが続かなくなってしまった。暦にこめられた人間の知恵とか英知といったものをまとめたいのだけどこういうことは書き尽くされているような気もして筆がすすまなくなってしまった。もしこれを読んでくださった人がいたら申し訳ないことだ。
2001年11月06日(火) |
ランディ・ジョンソン |
カミさんはランディ・ジョンソンをまるで哲学者みたいねという。わたしにはどう見ても西部劇に登場する悪漢の風貌にしか見えないのだが外見で人物を評価するのはあまりいい趣味ではない。昔、上司が「一目見ただけでその人間がすべてわかる」と豪語したので「それは思い上がりだ」と反論したら嫌われて左遷(?)されてしまった。実際、ジヨンソンは哲学者でもなければ悪漢でもない。大リーグの大投手である。
「タメ口」ということばを始めて目にしたのはいつだったろう。聞き慣れないことばだったが辞書にもないので「自分のタメになる口」つまり自己弁護のことばづかいという意味だろうとひとりがてんしていた。ふと気になって検索エンジンにかけたらタメ口に関する論考がたくさんあることがわかった。
2001年11月04日(日) |
「なぜ、ああ、なぜ」 |
ワールドシリーズたけなわだがシアトルではもう野球のヤの字も話題にならないそうだ。マリナーズがチャンピオンシップで敗退してしまったから。その悔しさで野球を忘れてしまいたいのだろう。地元の新聞に掲載された「なぜ、ああ、なぜ」と題のコラムには「日本からの輸入は良かった。が、特別な閃光のような能力はなかった」という一行があるらしい。ヤンキース戦ではイチローも佐々木もパッとしなかったことをさしているのだろう。この記事を紹介した朝日の記者は「何もそこまで、という感じがしないでもないのだが、それほどの思い入れがされているということなのだ」というコメントをつけている。(ClubA&A「イチローCHECK」より)
ウインドウズXPのプレインストールモデルがパソコンショップにずらりと並んでいる。買う気もない(買えもしない)のに店員の説明を受けているのは少々情けなくなる。XPはアップグレードすればいいと思っていたがインストールガイドを読むとどうもスペック不足のようだ。クロックやメモリーが推奨スペックにならない。Meの時は周辺機器との不適合から見送っているのでわがマシンは98のまま。それでもなんのストレスもなくサクサクと動いている。IEも6にしたからインターネットはXPの環境になっている。というわけでありもしないおカネを投資して新OSにすることもないかとひとり守旧派をきめこんでいる。
外務省に「嫁いだ」(就任あいさつ)真紀子さんの嫁ぶりが嫌われてついに朝日が三行半をつきつけた(2日社説「そろそろ限界です」)。省内官僚との対立が抜き差しならない事態になって更迭か辞任かという状況になった。政界もメディアもこれが一番の解決策という方向だが外務省不祥事からわき起こった省内改革への期待が真紀子退陣とともにしぼんでしまい元の木阿弥になってしまうのではないかという不安が国民としては残る。このところ真紀子女史は積極的にマスコミに登場して事情説明に懸命だが事務次官や官房長や人事課長の見解なども聞いてみたいものだ。
晴耕雨読というけれどきょうは予想しなかった雨で外出もままならずワールドシリーズを見る。今日負けるとどたんばのヤンキースがねばって延長10回のサヨナラ勝ち。日刊スポーツとスポニチがともに「劇勝」という見出しをつけたのには笑った。スポーツ紙に踊る見出しはいつもハチャメチャだが劇勝というのは新語ではありますまいか。
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