『暑中お見舞い申し上げます』という葉書が届いた。
あまり能率の上がらなかった休日出勤を終え、ツマからの緊急指令のお土産を片手に俺はマンションに帰った。エレベータに乗る途中にマンションの集合ポストがあって、一応そこを覗いてみる、というのがパターンだ。 宅配ピザのポスティングチラシの上に、一枚の葉書が寝そべっている。俺宛の暑中見舞いであるそれは、そのやわらかく優しい字体を見ればその差出人はすぐに見当がついた。ポストから葉書を取り出してみると、その見当に間違いはなかった。 『暑中お見舞い申し上げます』と季節の挨拶で始まった本文はおろか、宛名まですべて直筆である。今は宛名をプリンタで印刷するのはあたりまえになってしまっているのに、群青色の細いペンで書かれた俺の住所と名前は見慣れた味のある文字。手書きの暑中見舞いを送ってくれたことへの感謝の気持ちが胸いっぱいに広がるとともに、俺はある記憶を蘇らせていた。
大学4年、就職活動では早々に内定をもらうことが出来た6月、俺はいよいよ学生生活に思い残すことのないように、という気分が大きくなってきた。 そのときの俺の思い残し、というのが、どんな形であれ一度芝居をやってみたい、ということだった。 旗揚げしたばかりの素人に毛が生えたような小さな劇団にもぐり込んだ俺は、12月にクリスマスをテーマにした芝居を打つ。その辺の紆余曲折はまた別のお話。 俺は自前のワープロでこの芝居の手作りパンフレットを製作したのだが、そのなかにいくつかの手書きのイラストを添えた。 そのイラストを提供してくれたのが(――もしかすると、当時の有無を言わさぬ上下関係の中で無理やり俺に描かされたのが)、今日届いた暑中見舞いの送り主だ。このことは俺の中に鮮明に残っていて、こんな小さなつながりのおかげなのか、今でも時折思い出したように開催される飲み会で笑い合える仲になっている。そして俺の芝居の記憶のひとつは、あの粗末なパンフレットに添えられたサンタの格好をした天使のイラストなのだ。
暑中見舞いは追伸として、俺のケータイ電話で撮影できる画像が美しいですね、というようなことを添えて終わっていた。ココの姉妹サイト「のづ写日記」も見てくれている、というのが実感できる一言だ。嬉しい。 だが、しかし。 今やメガピクセルが当たり前の時代に、俺のケータイのデジカメはいまどき11万画素。おもちゃに劣る画質だと思っている。 それを追伸で“美しい”と言ってしまった。 もしかしたら、奴のケータイには日光写真くらいしか付いていないのかもしれない、そんな莫迦なことを考えながら家の玄関を開いたら、「シュークリーム買ってきてくれた?」とツマの期待に満ちた笑顔が俺を出迎えた。
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