時々日刊たえ新聞
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2007年06月09日(土) だいじにしたいメッセージ

昨夜と今日、讃美とメッセージの集いに参加した。昨夜は我が札幌バプテスト教会で。今日はリビングホープ教会で。今日の「ピアノによるゴスペルの集い」について書きます。

ピアノとメッセージは大牟田・有明キリスト教会の田中文人牧師、歌と証しは札幌教会の礼拝に長く出席されいる丸谷さん(女性)。お二人は神奈川県の百合丘教会で教会員として出会ったそうだ。田中先生は幼い時の病気で失明し両足に障害を持っている。田中先生の弾くピアノは力強く、自在で、音が鮮烈だ。ピアノがいいからじゃない。札幌教会のピアノはグランドピアノで確かにいい音が出ていたけれど、今日はアップライトピアノで、しかし昨日に勝るとも劣らない。

昨夜、Yさんを車に乗せて帰宅途中、Yさんが「明日も集会に行きたい」と言った。Yさんは目が見えない。「え?Yさんが行くならわたし乗せて行くよ!」とわたしは飛びついた。「えっ!?いいの?」とYさん。わたしが行かなくてもYさんはバスと地下鉄を乗り継いで今日の集会に行っただろう。Yさんが行くと言わなかったら、わたしは今日の集会を遠慮して行かなかっただろう。今日行くことが出来た事を神さまとYさんに感謝する。

今日の圧巻はメッセージだった。もちろん、ピアノと讃美も素晴らしかった。しかしメッセージは更に素晴らしかった。「弱いところにあらわれる主の恵み」第二コリント12章7〜10節
パウロさんはユダヤ教のエリート中のエリートで、イエス・キリストを迫害する先頭に立っていた人でした。ところがイエスさまと衝撃的な出会いをして、今度はイエスさまを伝える先頭に立つ人に変えられました。そのパウロさんには悩ましい持病があったようです。パウロさんはそれを取り去って下さいと真剣に神さまに祈ったけれど、それは取り去っていただけませんでした。
田中先生はパウロさんのことを「すべてが備わっている者が高慢にならないように、弱さが与えらた」と話された。そして「あなたは人とは違う弱さを覚える事はないですか?このことが取り去られるようにと祈ったことがありますか?祈った結果そのまま行きなさいと言われることがあります。」田中先生自身が幼い時から持病を持ち、持病に唯一効果があった薬の副作用で失明し足に障がいを負った。神さまは今も持病と障がいを癒して下さりはしていない。「持病と障がいを持って生きていくように」と神さまから言われ、そのことによって沢山の助け手を得てきたと言う。健康であったらイエス・キリストを信じる事の遅い者であったでしょうと言われた。「わたしたちの弱さがそのまま残されていても、わたしたちは神さまから知恵と力をいただいて前進し続けることが出来る。弱さに表れる恵みを数えて生きる事が出来ます」と言われた。「恵みが弱さの中にあらわれる」という信仰。何よりもイエス・キリストに出会ったことが最大の恵みであったと淡々と言われる。わたしは心からアーメンと言った。

気負うことなくむしろ淡々と、言葉はっきりゆっくり語られる田中先生のメッセージに聴き入りながら、わたしは一人の人を思い出して懐かしさでいっぱいになった。それは今日の集会に誘って(いざなって)くれたYさんの、亡きご主人「Mさん」の姿だった。Mさんは少年時代に野球の球を目に受けて失明し、盲学校時代にイエス・キリストと出会ったそうだ。札幌教会の代表執事もして下さっていたMさんは、家庭集会でいつも聖書をひも解き教えて下さった。礼拝で説教されることも何度かあった。その時の声、姿が田中先生にだぶった。Mさんの方が声が高かったけれど。Mさんの臨終は、神さまが両手を広げてMさんを迎え入れて天に上げたことを確信できた。最期まで揺らぐ事がない信仰をわたしはMさんに見て、この人のように最期まで生きよう!と思うようになった。Mさんも目の見えない障がいを持ち、その弱さを甘受されていた。いや喜んでいた。「わたしが目が見えないのは神さまのご栄光があらわされるため」弱さの中に恵みを数えて生きられた人生だったと想像出来る。Mさんが天に召されてもうじき10年。
Yさんが田中先生と丸谷さんの集会に連日行きたいと思ったのは、ひょっとして無意識の内にYさんも夫の似姿を感じたからかもしれない。

ふだん人見知りするYさんが集会後のティータイムに田中先生に「札幌の盲人の信仰会で修養会をしていますが、みんなにはかってもし来ていただきたいとお願いしたら来ていただけますか?」と聞いていた。田中先生は「ハイ、日程が合えば参ります」と応えていた。

三日連続の二日目の集会、讃美も講師の語りもリラックスしていたように思う。リビングホープ教会の小さいけれど温かくて誠実な雰囲気も良かったと思う。「いつくしみ深き」を皆で讃美する前、丸谷さんは「皆さん動物のようになって吠えてみましょう!」と言ってわたしたちに一斉に「ウオオオーーーー」と雄叫びを挙げさせた。子供も手を広げてウォーーーー!と吠えまくった。「そうそう!それでいいのよ、素晴らしい!」と誉められて、その後の「いつくしみ深き」は100人分くらいの声量になった気がした。(笑)讃美することが自分自身の中から湧き上がるような喜びを覚えた。


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