影戸の日記

2004年02月08日(日) Borneo1

ボルネオに行こうと2月5日におもった。
2月7日この文章を乗り継ぎ便の待合室、クアラルンプルで打っている。
考えてみればマレーシアまで遠い、台北経由で回ったほうが早かったかもしれない。

名古屋10:40−クアラルンプル着17;00 飛行時間7時間(時差1時間を計算して)である。
マレーシア航空は久しぶりであるが、これまでの比べサービスが頻繁になされるようになったような気がする。 サンドイッチ代わりにおにぎりが出たのは何かよかった。

クアラルンプル
ここでパスポートを持って入国、荷物は無い、荷物はコタキナバルまで直送であるある。
ゲート移動の途中で、国内線に乗り換えるのだ。
「お金を買えたいんだけ」というと一回外に出て、国内線のロビーで換えて、5回の国内線の出発ゲートから入れという。
 ハイわかったよと、国内線のゲートを出て、両替、5回まで大変だと思ったので、出てきた出口を逆送する。誰も止めない、どんどん入っていく。そのまま、空港内に入ってしまった。
 荷物検査なしでこの動きができたということは薬とかガンとか自由に持ち込めることになる。
何かよっぽど人相がよかったようですいすいと国内線の待合室に。

遠い!!
なんとこことで気づいたのだが経由便である。普通クアラルンプルからコタキナバルまで3時間程度の飛行時間であるが、4時間かかってします。経由便なのである。
さらに4時間。持ってきた曽野綾子のエッセイ集をもう一度読むことにする。来る便では従軍慰安婦の問題や南京大虐殺の問題をむやみやたらに共通加害者にしたがる日本人気質について考えてきた。
 たとえば家が台風で停電になる。これは誰かが悪いと考える。そう共通被害者文化の視点である。誰かに責任を取らせようとする。電力会社化あるいは行政か。台風で停電など当たり前で静かに待っておけばいい。自分以外の出来事に退位しては加害者としてせめて立てる。
戦争責任について日本は謝罪すべきという。 自分以外は加害者という発想に切り替わる。賠償金、知らなかった事実(世の中には知らなかった事実など五万とある。)
そう思うんだった100円でも毎月積み立てして(具体的に動いて、)お金を渡せばいい
自分以外はすべて悪人と声高々に叫ぶ「一般良識者」といった主張であった。
 僕自身そんなやつには腹が立ってならない。
 親の借金だってその代でおわりだろう。親のお金をもらわなければそれでチャラ。
 僕は戦争に行かなかったし、鉄砲も撃たなかったし、殺しもしなかった。
だから責任を感じないし、攻められる筋もない。それで何が悪いと思う。
 事実を曲げる必要は無い。確かにそういった事実があり、人肉もくったわけだ。
アノラゲイは原爆を落とし、その後遺症は今も続いている。その事実があって。それでいい。
 大学の講義で「こんなこと知らないだろう」「こんなことを日本人がしたんだ、知らなかったろう」と残虐なシーンを見せ、加害者として意識を育てようとする教育者がいる。大きなお世話だ。そんなことするより、「お前が街頭に立ってかな集めをしろ」といいたい。学問ってのはまずは体力行動でしょうって思う。
ボルネオに眠るカラユキさん
ボルネオには日本人墓地化がある、サンダカンにある日本人墓地の墓標はすべて日本に背が向けられているという。
 彼女たちがこの地で日本兵のための慰安婦として死んでいった事実。だまされたのかも知れない、貧困がそうさせたのかもしれない。
 事実はしっかりと見たい。だからその責任を誰かに問うという気持ちはない。


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