月と散歩   )   
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2003年01月13日(月) さよならは、右の頬だけで (種子島、その後)


2002年、12月14日。

定刻どおり、ロケットは新しい星を乗せて彼方に消えていった。

僕は、大勢の見物人に混じって それをみていた。
ただ、みていた。

―――

僕の仕事は ロケットを「打ち上げること」じゃない。

「打ち上げられる状態まで持っていくこと」だ。

―――

僕が打ち上げに関わるのはこれで5度目になる。

人間は『状況』に自分を合わせて、慣れていく。
それが、いいことでも わるいことでも。

だからきっと、これも仕方ないことなんだろう。

5度目の打ち上げは、
もう以前のような感動も 造り上げたモノへの愛情もなく
『当然のこと』として、『仕事』としてそれを眺めていた。

それが本来の、作業者としてあるべき姿なのかもしれない。

―――

…僕はアーティストにでもなったつもりでいたのだろうか。

―――

『職人』と『製造業』の差は、おそらくそこなんだろう。

つまり、つくったモノを『作品』と呼ぶか、『製品』と呼ぶか。

気持ちの問題といってしまえば、それまでなんだけど。

―――

以前はそれでも、仕事に向き合うときのスタイルは崩さないようにしようと心掛けていた。
せめて、自分の中では『作品』と呼べるだけのモノをつくろうと。

たぶん、それ自体は悪いことじゃない。

でもそうあるためには、僕自身に技量と経験、それと決定的に覚悟が欠けていたんだ。

大量生産を目的とする組織の中では、モノに対する愛情なんかはむしろ邪魔だ。
そのなかにあっても自分のスタイルを守るんだっていう、覚悟が足りなかった。

時間に追われ、組織に揉まれ、消耗しきってしまった。


んで、僕は 流された。


―――

スケジュールを守るってことも、組織の一員としての協調性も
『モノ作り』としては大事なことさ。

わかってる。


…でも。


―――

僕は、『職人』と呼べる人になりたかった。

そう。
たとえば、ガラスのナイフみたいに
純粋で、脆くて、でもだから綺麗なモノに。

―――

まだ、間に合うはずさ。


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