★ 夏海の日記 ★
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2008年01月18日(金) |
マスターベーションか 否か |
今朝、勢いで買ってしまった『新ルールズ』のことを考えながら洗濯物を干していました。 その本の内容欄には、こう書いてありました。
『彼が幸せだと感じることを実行しましょう。 そうすれば彼は一生あなたと一緒にいたいと思い、幸せな日々が送れます。 しかし、その精神的努力は二人でするものではありません。あなた一人が実行するのです。 なぜなら、男性と女性は違う生き物であり、それが現実だからです。』
結婚とは、二人で努力するものではなく、『あなたが一人で努力するもの』だとすると、 それって、マスターベーションにならないの?と疑問に思いながら、 どうしたらマスターベーションと思わないで『一人で』『努力』などできるのだろうと思っていました。
どうしてマスターベーションだと思うんだろう? その答えは、うーたんとの結婚生活で、私一人が空回りしていたから。 セックスレスの中にあって、私一人が努力したところで、相手がその気にならないとどうしようもないでしょう。 私が努力した末にあるSEXは、私の中では すでに『人の手を借りて行うマスターベーション』となり、 『幸せな時』ではありませんでした。
相手に意思がある限り、相手にその気がないと現状は何も変わりはしない。 私が行う全ての行為が 私の心を中心に行うべきであり、相手を動かそうとか変えようとか思うことはおこがましいとは思う。 思いはするが...。 では、その努力がマスターベーションと感じるか否か? その境目は 何か?
今朝、やっと『真理』に辿り着いた。
その境目とは、その努力が『日常化』しているか 否か。
「ありがとう」と言う習慣が、『日常化』していると、『ありがとう』とお礼の言葉を言うことにストレスは感じません。 「ごめんなさい」と言う習慣が、『日常化』していると、自分の非を『ごめんなさい』と認めることにストレスを感じません。
私は自分磨きにストレスを感じていました。 自分磨きは 元夫への為であり、自分の為ではありませんでした。 私は自分磨きを楽しめず、私の心はどんどん磨り減って行きました。 私は 誰の為にではなく、私の為にこそ、無理のない『自分磨き』を行うべきだった。 それならば、それを楽しみ、それらが『日常化』していなならば、私ははマスターベーションには 感じなかったでしょう。
今、teaとの生活で 私が楽しんでいられるうちは、自分の楽しみの為の行為であり、 それが楽しめなくなったら、teaの為に努力する イコール マスターベーションになる。
それが意識して行わなくてはならない『努力』か 意識しないで行う『日常的』な行為か? 楽しめているか 楽しめない虚しい努力なのか? それが きっと マスターベーションか 否か の境目だと 今朝気が付きました。
シンプルだけれど、難しい『真理』。 私は今 努力を楽しめず とても疲れています。
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