★ 夏海の日記 ★
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2007年07月15日(日) |
時間(ヒマ)があること |
Date: Sun, 15 Jul 2007 18:21:35
仕事が忙しい間は、ニュースすら見るどころではなかった。 朝のワイドショー?を見るのと、 仕事の合間に、ちらっとYahoo!ニュースを見るのが、私のニュースソースで、 だから、私は『考える』ことをした。 入る情報に対して、私なりの考え方をすることができた。
6月から、TVを見る時間が圧倒的に増え、 私が得る情報が格段に増えた。 TVを見ている時間は、考えることをしない。 いや。 考えるが、次の情報が入ると、思考が次へと移り、結果として何かをつきつめて考えることをしなくなる。
これではアホになると思う。 本当は、TVではなくラジオが好きなんだけど、 どうだろー この部屋は ちゃんと電波が拾えるかなぁ?
少し前、『世界が100人の村だったら』を見た。 あまりに(心に)痛い番組なので、この特集は今まで見なかったのだが、 PCを打ち込みながらteaが合わせたチャンネルを受け入れた。
兵士になる訓練をしている少年と ゴミの山で『仕事』をしている少女
見ながらteaが『さとし』の話しをしだした。 (たぶん『さとし』だったと思う。間違ってたら、ゴメンネ。)
『さとし』は、幼児期に誘拐された。 誘拐した子供を兵士として育てたい組織に。 彼は銃器の扱いを習い、人を殺す為に育てられ、人を殺すことを『日常』として生きた。 そうして大人になり、そこから抜け出し、現在地雷の撤去を行っているそうな。 「たくさん人を殺したから、今度は人の役に立つことをしたい」と。 報道関係者だったかな?に、名前を聞かれた時に自分が誘拐されたことを話し、兵士として育てられたことを話し、 「自分には名前がない。だから名前を付けてくれないか?」と言われたその人は、『さとし』と彼に名前を付けたそうな。 それ以来、彼の名前は『さとし』になった。
『さとし』は親の顔を知らない。 兵士になる訓練をしている少年を見ながらteaが言った。 親に虐待されていたとしても、親がいるだけで幸せだと『さとし』は言うだろう。 私は言った。 結局どちらも『ないものねだり』なんだよね。
自分に害しか与えない親と一緒に生活しないと生きていけない子供と 親の顔を知らない子供と どちらがより不幸か どちらが幸せなのか 私には何も言えない。 何も言う権利がない。
自分には親がないんだから、『親と呼べる存在』がいるだけ幸せだと言う子供と 殺したい程憎い親ならば、いない方がましだと言う子供と お互いが『当事者』にはなれないので、結局は『ないものねだり』だと思う。 要は、これから『どう生きるか』 その答えを見つけるしか 幸せへの道はない。
2年ぶりに女優の酒井美紀が 以前レポートした ゴミ山で『仕事』をして一家を支えている少女に会いに出掛けた。 彼女は『仕事として』2年ぶりに会いに行った。 心配していたと 何度も涙を流す彼女を 私は怒りと共に冷めた目で見ていた。 TVであるなら、通訳は必要だろう。 日本語で伝えないとレポーター役は務まらないのも解る。 だが。 会わなかった その2年間の間に、どうして『英語』を喋れるようになっておかなかったのか? 本当に彼女を心配し、心を通わせたいのであれば、通訳なしに会話をしたいとは思わないのか? 『英語を喋れないこと』が、彼女の起用条件であるなら仕方がないと思う。 「個人的に会話をしないで下さい」それがTV局との取り決めなのであれば。 本当のところは どうなんだろう? 私のような目でTVを見ている人は どれくらいいたんだろうかと思う。
TVを見ながら、「病気の母親が死んだら、薬代も食事代も助かると思う私は冷たい女か?」とteaに問うた。 teaは「オイラもそう思うが」と言った。 彼女にとっては 『母がいること』への精神的支えがなくなり、母親が死んだら自分が長(おさ)になってしまうことへの不安と、 母親が死ぬことによって、病気の母親にかかる費用を 自分たちの食料費に充てられること どちらが彼女らにとって『良いこと』とは、飢えたことがない私には言えない。
薬を飲むことよりも、薬代で卵や肉を買って栄養を与えた方がよっぽど『治療』になるだろうに。とteaが言った。 無知と無学による逆スパイラル現象だよねって。 病気になれば、薬を飲めば治る。 それ以外の選択肢を『識らない』のであれば、高価な薬を買って、飢えを我慢することしか『できない』。
私たちは 沢山の情報を仕入れることができる。 その仕入れた沢山の情報は、自分の道を選ぶ選択肢となり、 知れば知るほど 選択肢は広がる。 ゴミの山で『仕事』をしている彼女には、選択肢すらない。 自力で編み出した『知恵』しか。
teaは言う。 「生きていてごめんなさい」 少年兵士や 物乞いや ストリートで働いて生計を支えている子供たちと触れ合ったことがあるteaにとって、それはTVの中の出来事だけではない。 今も続く彼らの『日常』に対して 自分は...と。 「こんなことやってて 良いのか?オイラ!」と。
『さとし』の話はヘビー過ぎて、TVで扱えない。 笑えない。泣けない。何も言葉に出せない。コメントできない。 視聴者はきっと『引いてしまう』から。 (危険過ぎて現地にレポートに行けないだろうし 。。;) この程度のものは、この国では『日常』なんだよね。特別ではなく。 そしてteaが言う。 「『語り部』にならなくても良いのか?」
私は言う。 「大丈夫。私は『語り部』だから。」 私は日本に住み、 teaは日本に住み、 私たちは 私たちができることしかできない。
これから何ができるか? 町を動かせない、県を動かせない、国を動かせない、世界を動かせない 一個人としての私たちができることは何か? やはり『痛い』番組だった。
『世界がもし100人の村だったら 5』のURLは こちら ↓
http://wwwz.fujitv.co.jp/ichioshi07/070630sekai/index.html
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