★ 夏海の日記 ★

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2006年08月28日(月) 母娘と姉妹だけど...

私の日記(たぶん『殺される』)を読んでの感想&アドバイス?をお友達(と呼んで良いですか?)のGAKUさんが掲示板に書き込んで下さいました。
書き込みを見て、最初 「う〜ん 弱ったなぁ...」と言うのが、正直な気持ちでした。
何をどう『説明』すれば解かって貰えるか って言うか、GAKUさんは『親の目線』からも見ている訳だし、
どうしてダメなのかを『説明』して『納得』して貰うには、たぶん沢山話をしないといけないし、
GAKUさんの(私が知っている限りでの)性格上、
話せば話す程 「どうしてダメなの?」って質問が帰ってきそうだし
じゃぁ「こうしてみたら?」とか「こういう風に考えてみたら?」って言われそうだし f^^;
「うーん 長くなりそうだぞ」ってのが、正直な感想でした。

では、まずその GAKUさんが掲示板に書き込み下さったものをば。




●GAKU(339) 題名:色々あります・・・ 投稿日 : 2006年8月26日<土>21時52分 返信

夏海 さん

日記を読ませていただきました。生きていると色々な
事や人や、想いに出会いますね。
 一緒に居るだけでなんとなく解り合える人や生き物も
居るように感じたりします、でも・・・・・。
相手の想いや心の中まではやっぱり解らなくて、
(エスパーやジェダイではないし)、じっくり話しをする事も
時には大切なことではないでしょうか?

お母様、妹様もきっと話すことで解ってくださるのでは?
と思います。私は夏海さんのことも、ご家族もぞんじませんが
「夏海さん」のご家族ならば、きっと解ってくださるのでは?
と思います。

私にも経験がたくさんありますが、人はちょっとの言葉や
行動、そのときの感情、体調などで思い違いや、すれ違いを
おこすようです。いつか、分かり合えるといいですね。

勝手なことを言っていますね(_ _)お許し下さい。




で、これに気づいたのが寝る前だったので、1週間お返事できないなぁって思って、メールで返事をしました。お返事遅くなりますって。
(「適当に聞き流してくださいね」ってお返事が返ってきました。)

私宛に直接メールを下さったのであれば、直接会って話をすればきっと解かり合える。
でも、掲示板に書いて下さったのだから、GAKUさんに直接ではなく、みんなに解かるように説明をしたいのが、私の本音です。
バトルするのも仕方がない。
私は『親を許さなくても良い』派として、今まで日記や相談に書き込んで来たのだから。
(私宛にメールが来ても、結局はHPで紹介するでしょうけど f^^;)

何をどう言えば良いんだろう?って思いながら電車に乗っていました。
どこから話を始めたら、解かって貰えるんだろう?って。
喧嘩をした訳でもなく、憎しみ合ってる訳でもなく、母も妹も私のことを思っている(と本人達は思っている)んだけど、
その思考方向や 労わり方、示す方向が、私と合ってないだけであって。

私が私であることは悪くない。
母や妹が それぞれの思考をしていることも悪くない。
ただ、違う世界で暮らしているだけの問題であって、
私は努力して話をしたけれど、すればするだけ溝は深まり、不信感がつのり、気が狂いそうになった。
私に確実にダメージを与える相手と会うのには 気力がいる。
今までと同じように、気力を蓄えてでないと あの家へは行けない。
こうなってしまったのは いつからなのだろうかと考えていた。

いつから...?
それは、とっても昔から。
過去を思い出すと、出てくる!出てくる!
大きなつづらを開けてしまったかのように、色んな禍禍しい思い出が 芋づる式に出て来ました。

私には 父親が2人。母親が2人。お父さんとパパ(義伯父)と お母さんとママ(伯母)がいました。
と思っていたら、あれれ?それに祖父母が加わって、親が6人に増えました。
夫婦仲の悪い 妻を妻の実家を馬鹿にしている父と 父のことを憎んでいる母。
何をするにも2人一緒の義伯父と伯母。
家長らしい祖父とマイペースな愛し方をする愛情たっぷりの祖母。この夫婦もとっても仲良しでした。

自分の家以外に 祖父母の家に預けられ、伯母の家に預けられ、まだ独身だった叔母たちに子守りをされて、みんなの長女として育ち、私の人格が形成されました。
とっても愛されていて、
でもママ(伯母)の入れ知恵のせいで、自分は親から愛されていない可哀想な子供だと思って。
叔母たちが結婚していき、ママの家に従姉妹が生まれ、私の『家(ホーム:居場所)』が無くなっていきました。

妹と弟はずっと家で育ち、私だけが外で育っていたこと。
幼稚園?の頃に発病した病気の為に母親に守られていた妹と、
病気がちで父親に虐待されていた為、母親に守られていた弟と、
しっかり者で手の掛からない長女の私。
家にいても居心地が悪いので、絶えず外で遊び、友達を家に呼ぶことなく学生時代を送り、
家が大好きな妹は母親の手伝いをしてはお小遣いを貰ったり、母親と自転車の2人乗りをして買い物に出掛けたりして
「親ばかな親に育てられた」と胸を張って言っていたんだけど、私には『親ばか』な親には見えなかった。

体に対する暴力はなかったんだけど、父は弟に対して精神的虐待が激しく、母親は弟を連れて家を出ることを夢見て弟の成長を祈り、
20歳で弟が事故死した時にまっさ先に思ったのは、「母の為男の子を産まなきゃ!」だった私の精神は一体なんだったんだろう?

弟の葬儀の時、私は誰とも悲しみを共有できず、一人ぼっちで悲しんでいました。
血の繋がった他人として 結婚するまでの間同居し、
結婚後も「実家に帰る」とは言えず、「実家に行く」とファイティングポーズを取りながら出掛けて行った。
義父に与えられたストレスの為に(と今でも思っている)流産した時、「私は仕事があるから帰って来て貰っても困る」と言われ、
(私の結婚後に家を建てたので、私の部屋はない)実家にいても私の居場所などないことは知っていたので、病院から婚家へ戻ったあの日。
婚家では、「実家に行くと思ってた」と言われ、私の居場所など やっぱりどこにもないと再確認したんだよね。
その半年後、妹の出産のためには会社を休んだよね。
そしてその間の給料として母にお金を渡し、実家の分も食事作って届けていたのは私だったっけね。

もうそろそろ話そうかと思っていたトラウマの話なんだけど、
私が もう限界だ。死のうと思って10日程何も食べなくてすい炎になって入院し、退院した時、
「今は何を言っても無駄だから、あなたが我慢しなさい」と私に言い、妹を諌めなかった母。
死のうと思ったその心は、すい炎が治って退院したからと言って治る訳ではないことに気が付かない馬鹿な母。

婚家を出る時も 相談なんてしなかった。
私の話を ただ笑って「おもしろいねぇ」って言うだけなのは分かっていたから。
婚家を出ても居場所は自分で探すしかなく、他県に引っ越した私。
この県へ戻った時、1週間程実家の甥っ子のベッドを借りて過ごし、『怖いもの』と戦っていた私に
娘が「怖い」って言うから、「怖い」って言うなと言った妹。
子供には『何か』が伝染してしまうからね。って思って、この家には2度と泊まれないと改めて思った2年前。
1日だけ私の部屋に泊まり、
「どうして4階なんて借りたの?もう2度と来ない。会いたかったら、こっちに会いに来て」と言った母。
パニックで過呼吸になる私に対して、自分が必要なら車で会いに来いとね。

うーん 書けば書くほど 凄いなぁ...
ま、済んだことだし、良いんだけどね。

HPをご紹介したあづまさんのメルマガが配信されて来た。
もしかしたら私の日記か私が書いた掲示板を見たのかな?いつもと違う内容でした。
題名は、「親孝行しなくても良いんです」
「しなきゃいけない」と自分の心を縛って、無理をして親孝行なんてしなくても良い。
許すとか 許さないとか そんなことどうでも良いって思えるのであれば、別に親孝行『しても良い』
なにかする時、少しでも違和感があるのであれば、勿体無いとか、無駄とか、『負』の感情があるのであれば、まだ傷が癒えていない証拠。
だから、無理しなくて良いんだよって書いてあって、HPで紹介しようかなって思っていたら、
正反対の「じっくり話し合えば、分かり合えるよ」って書き込みをみて、うーんってうなってしまいました。

私は病気だけど、病気を理由に言っている訳ではなく、病気を盾にしている訳でもなく、
合わない人に無理して合わせることは、もうしないと心に決めたんですよね。
父親の教育のお陰で、人の顔色を読むことを『普通』にして生活して、壊れちゃったから。
私が私のことを好きだと言える 今の私が好き。
この私を守る為なら、親だって妹だって切ることはできる。
本当に 何度も 何度も 何年も 何年も 話をして説明をして その度に失望してを繰り返して来た。
もう卒業して良いと思う。

最初に言ったように、悪い人でも 私を傷つける意思がある訳でもない。
無意識に 私の傷をガシガシ削るだけであって、それもにっこり笑いながらね。

例えば、化学物質過敏症の私の家を
化学物質過敏症もシックハウスもシックスクールもシックビルも知らない(どれだけ説明しても『理解できない』)母が、嬉しそうに
夏海ちゃんのためにと『シロアリ駆除』をやっておいたからね ^^vって言うことは、迷惑だけど罪ではない。
ただ、私の体が化学物質を受け付けなくて、その殺虫剤成分でうつが酷くなり、
殺虫成分が消えるまでの間 自分を刺したくなる衝動と戦わなくちゃいけないのは現実で、
でもそれは、母が悪い訳ではなく、私側の問題だから。
(ただ、2度と同じことをされないように 防衛はするけどね。)

合う 合わない 住む世界が違う。
善意が 善意ではなくなる。
よく私が使う言葉『理解ができない』は、こんなに単純な話なのです。
蕎麦を美味しいと言う人と、蕎麦で死んでしまう人と、
くるみを美味しいと言う人と、くるみを食べると呼吸困難になる友達と。

好き、嫌いの嗜好の問題ではなく、合う合わないが存在する。
そこに善意が存在していても、蕎麦アレルギーの人は死にます。
悪気がなかったからと言って、全てが許されるとは思ってはいない。

話し合って分かり合える人と、思考方向の出発点がすでに違っている 一生分かり合えない人がいて、
不幸だとも思わないけど、母や妹は、父は、私とは理解し合えない存在なんだなぁって冷静に思う。

メンタルクリニックの先生が言いました。
「未成年じゃないからね。親の承諾はいらないし」って。
酷い状態を知っていて、今があって、あの頃へ戻ってしまう原因は 排除したいってのが、主治医としての本音じゃないかな?って思う。

私は私の今の仲間が好き。
本当は この仲間こそが私の世界だったんだなって思う。
怖かったけど、家を出て正解だった。
怒鳴られまくったけど、この県に戻って来て正解だった。
生き来て良かったって 心から思うの。


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