★ 夏海の日記 ★

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2006年08月13日(日) 殺される

金曜日(8月11日)金華山へ登り、『PO』で楽しい時間を過ごし、市役所へ出掛けて住所変更をし、
市民花火の協賛を募集しているのを見て、今年こそ1発 自分の花火をあげるか〜って
紅葉ちゃんに「紅葉好きだーー ドーン!」って言われるって、どうよ?って楽しい話をして、
teaと楽しく夕食を食べ、ご機嫌気分なまま私の実家へでかけました。

妹に用事があったのと、ある報告に。

申し送れました。
私、結婚します。

友達に言われました。
「『結婚って、自分に向いてない』んじゃなかったんかい?」
『結婚制度』という点については、私には向いていない。
自分の好きな人と一緒に暮らすだけで、『嫁』として扱われるのは我慢できないから。
自分の親だけでも『勘弁してくれ』って思っているのに、
相手の親まで出てきて「私は親よ」って保護者面もしくは 面倒見るのは当然!面されるのは、まっぴらだと思う。

teaも同じ。
二人とも『入籍』自体には興味がない。二人だけの生活なら、別にどちらでも良い。
ただ、teaの親と同居するなら、名前は同じの方が、うざい詮索や説明をしなくて面倒臭くない。
ただそれだけの理由で、入籍をします。

二人とも結婚制度に興味がなく、入籍したことによって契約が交わされるとは思っていない。
入籍したからって、何が変わるのか?
人の心なんて、変わらない保障なんてどこにもないし、
『入籍』したことによって 心に油断が生じて 色んなところに手を抜くことや
相手に対して努力をしなくなるくらいなら、同居のままで良いと思っています。

??って思われた方。
ごめんなさい。ルームメイトteaは、恋人でもありました。
当時、夫婦生活は破綻していましたが、まだ『離婚』が正式に成立していなかったので、
もし うーたん(元夫くん)がHPを見て、揉めると思って、恋人と同居しているとは書けなかったのです。


で。
teaの父親の葬儀で、teaの家族、親戚には顔見せが終わっていて、祝福されていて、
私の母や妹にも(会うのを避けていたので、出会い頭のゲリラ会わせでしたが)紹介はしてありました。
叔母へは、叔母の別荘へ一緒に泊まりに行き、別荘の管理人さんとも挨拶をして知っていたのですが、
『離婚も済んでいないのに、汚らわしい』と、『叔母の倫理観や正義』で避けられ、離婚後も紹介できない状況でいます。

ねぇ?
私の精神状態を知っていて、離婚の意思があって、でも手続きや話し合いができない状態でいて、
婚家を出て1年以上経ち、「(この土地に)帰ってくるな」と うーたんに怒鳴られたことも知っていて、
私は十分貞操は守ったと思うのよ。
汚らわしいって言われる筋合いはないと思うんだけど。どうよ?

夫がいる身で、恋人がいるなんて、色狂いしてる。
ロクデナシの夫を持って、(たぶん無意識に)自分の性に飢えている彼女たちにとって、
私は 色狂いしてるんだろうね。
そりゃー 汚らわしいだろうよ。

私の友達の誰もが、離婚成立する前でさえ恋人の存在を受け入れ、
一緒に住んでいるということに おめでとうと祝福してくれ、私の幸せを願っていてくれているのに、
私の血の繋がった人たちだけが、頑なに拒絶している。
『うーたん』という存在がありながら、何をやっているんだ。
家を出た時に 既に破綻しているにも関わらず。

私がいつ自分を刺さないとも限らない酷い極限状態にいた時に、絶えず傍にいてくれて、
一緒に病院へ行き、診察にも立会い、「自分はどうしたら良いのか?」って先生に聞き、
過保護にする訳でもなく、見守って支えてくれたtea。
GWなどの長期休暇には、一日中一緒に歩いてくれたtea。
電車に乗り、会社に行き、仕事ができる状態になっていられたのは、teaが一緒にいてくれたからだと思う。
離婚の話し合いができる精神状態になれ、自分の力(友達の力を借りてだけど)で、頼れと言ったまま見捨てた叔母や
私の味方だと言い、その実 うーたんの味方だった母や妹に比べ、
その『最悪な』状況を支え、この世に私を繋ぎ止めていてくれたのは、teaだった。
甘やかすでもなく、手加減なしに喧嘩をし、心の中身を吐露し合い、本音で付き合った
私にとって、戦友でもあるtea。


父親の弟が離婚をし、離婚後も元妻と仲良しなのを知っていたので、叔父にメールで伝えた。
「結婚するんやわ。会わせたことは会わせたんやけど、認めてへんねん。
どうしたら良い?」

帰ってきた返事は、やはり
 「何やかんや言うても、やっぱり心配な夏海ちゃんのことやから、言うた方が良いと思うよ。
  何も慌てる必要ないんやから。祝福して貰った方が、良いやんか」

で、妹に取り合えず言ってみた。
 「はぁ??????????」

妹の反応だ。
ありえないって顔をされて、
信じられないって顔をされて、
この人、何を言ってるんだろう?って顔をされて。
そして次の言葉を聞いて、愕然とした。

「お母さん、向こうの家に挨拶行ってないから、まだ決着ついてないと思ってるよ(私もだけど)」

はぁ????????
今度はこっちの番だ。
この人たちは、何を言ってるんだろう?
意味が解らなかった。

自分が向こうの家に「娘がご迷惑をお掛けしました」と
ごめんなさいをしに行かない限り、『離婚』の事実は、まだ未解決なのかい?
意味が解らない。

私は、モロモロのファクターがあったにしても、あの家で発病し、苦しみ、死のうと思い、
生きる為にあの家を出て、今まで生き残って頑張ってきて、やっと幸せだと感じてきたところなのに。
やっと自分が好きになって来たというのに。
あの(善人ではあるが)諸悪の根源の家の人たちに向かって、
自分の娘をうつ病という病気にされた あの家族に対して
申し訳ありませんでした と言う事が、母親のけじめだと言うのか?
娘と二人で 謝りに行って 初めて離婚が成立するのだと本気で考えているのか?
母にとって、それが正義なのか?
母にとって、それが常識なのか?

いかん!ここにいては、不幸が移る(その他のモロモロの不幸話を聞かされていたし)と思って、逃げ帰った。
血が冷たくなった。

teaに言うと、まぁ家具やらが向こうにあるし、問題はあるわな。ってゲラゲラ笑って、
まぁ、そうだよなって、私もゲラゲラ笑って。

この家には、青虫を観察して大きくなるのを楽しみにするような平和さがあり、
山に登ったり、公園を散歩したりして、季節を感じる幸せがあり、
季節の食べ物を美味しく笑いながら食べられる幸せがあり、
意見を戦わせたり、楽しいお喋りをしながら床につく 平和な眠りがある。
ファイティングポーズを日常的にとる必要のない 平和な生活がある。

確かに家具は置きっぱなしにしてある。
それは、私が甘えているせいもあるが、うーたんが病んでいるせいもある。
神経症のうーたんは、『そのにあるもの』が、なくなってしまうことが怖い。
私の荷物がなくなってしまって、離婚が決定的な事実として 空いてしまった空間を見ることによって思い知らされるのが怖いと言った。
現実を見るのが怖い。
だから、置いておいて貰った方が助かると。

そういう事情も知らず(まぁ軽くしか教えてないないんだから当たり前だが)
私が一方的に我侭を言って家を出たにも関わらず、
(本当は一番困っている時には、怒鳴る以外何もしてくれなかったのだが)生活費を援助してくれて、
私のことを心配してくれる 私より頻繁に私の実家に顔を出す元夫くんに肩入れをし、
うーたんが 壊れていく『さま』を見(本当は、とうに壊れていたんだけど)
迷惑を掛けたと謝ることで、『自分の娘が』という贖罪をしたい。
そこには私の姿は ない。

母が言った言葉。
何でも言って。
夏海ちゃんが、言ってくれたら、何でもするから。

『何でもする』
それは、一緒に相手に挨拶に行くことだと、勝手に使命感に燃え、
未だ私が挨拶にいけないのは、私が病んでいるからだと思っている母と妹と。


昨日、迎え火の日だった。
実家に行こうか ずっと一日迷っていた。
teaの姉一家が来ていて、一日teaの実家で犬と遊びながら、夕方迎え火に行こうか迷っていた。
犬たちがいて、子供らしい子供たちがいて、ゲラゲラ笑って、何一つ不幸の影のない平和な一日だった。

結局行かなかったのだが、夜シャワーを浴びて 「迎え火に行けなかったな」って思ったら、やっと泣けた。
声をあげて いっぱい泣いた。

お盆休みの間に、うーたんの家に出掛けてみようかなと思っていたので、
うーたんは、たぶん誘われると 躊躇なく「別に良いよ」って言うと思い、
母がそんなに挨拶がしたいのなら、ランチでも一緒に食べに行って、願いを叶えてやろうかとも考えた。

私の幸せを願っていると言いながら、私を病気にさせた相手に何を謝るのだろう?
私を病気にさせた家族に 何を謝らなくてはならないんだろう?
私は あの家にいたら、今頃死んでいた。
私を殺したあの家で、私は殺されていた方が母にとって良かったんだろうか?
そう思った途端に涙が出た。
私は殺される。
あの輪から出られて良かった。
私が死にたかったのは、あの家で20年以上も育ち、母お気に入りのうーたんと母理想の結婚をし、
母理想の娘に変身したせいだった。

私は ずっと洗脳されて育ち、そこから抜け出す為には死ぬしかなかったんだ。
死ななくても良い方法を誰も教えてくれなかった。

ずっとずっと 呪いにかかっていた。
死ぬように 仕組まれていた。
『愛しているのよ』との 甘い言葉で縛られて。

母性嫉妬の存在にたどり着いていて、私は幸運だった。
私が死ななくて済んだのは、祖父母や伯母夫婦に 夫婦が愛情で結ばれている家庭で育った経験があったからだった。

私は 母に殺される。
私の敵は、父だけではなかった。
私は 本当は解っていなかった。
そして、今度こそ 本当に心から やっと気が付いた。
このままでいたら、私は 母に殺される。


実家での出来事を土曜日に『PO』で話した。
sea姉さんは、「実家に対して、あなたは『ドライモン』になりなさい」って言った。
(ドライモン = ドライな感覚の人)
「なっちゃんは、なっちゃんで幸せになりな。
そして、実家へはドライモンになって、何があっても、何を言われても心を動かさないように強くなりなさい。」


私はあの不幸のサークル(輪)から抜け出せて幸せだ。

お風呂で泣いている私に気がつき、teaが声を掛けてくれた。
「一人で泣いていないで、早くあがっておいで。」
しゃくりあげている私に何を言うでもなく、何をするでもなく、ネットの釣り情報を見ていて、
暑いのに背中にべったり張り付いてしゃくりあげている私を 泣き止むまで放っておいてくれた。
私が 私の意志で 喋り始めるまで。
私が落ち着くまで。
HPを見ながら釣りの話を少しして、
「さぁ寝るよ。早いけど」って言って、お布団の中で話をした。

私は殺されるって言ったら、teaが、何も食べられやしないだろうから、安心しなって言った。
それに夏海ちゃんを食べても美味しくないと思うぞって。
赤味の筋肉と、脂肪がぱっきり割れていて、美味しくないと思うぞって。
美味しくなるように、マッサージしておくよって、ちゃんと霜降るようにマッサージして、
いざと言う時に、teaに美味しく食べてもらえるようにするよって言って、
あ...teaは、赤味の方が好きだったんだよねぇ。
固くて、たくさん噛まないといけないようなお肉が好きなんだったよねって言って、
なぁんだ。今が好みのお肉だったんじゃんって笑って。

「テトもいるから、大丈夫だよ。テト、可愛いでしょ?」ってteaに言われて、
私は 何て幸運なんだろうって思った。

呪いとは、ここまで凄いのか。
私はもう実家へは行けない。
あそこに行けば、私にはまた 死が付き纏う。
真綿で首を絞められて、殺されるのを待つのはごめんだ。

直りかけた心の傷に 塩やタバスコを摺りこまれ、タワシでゴシゴシ擦られて、また血が噴出す。
それも笑いながら 気持ち良い?って 満面の笑顔で聞かれて ゴシゴシゴシゴシゴシ

私は 私の人生を もう自分の意思で生きても良いだろう。
もう十分苦しめられたんだから、
もう良いだろう?もう十分だろう?

死ぬことよりも 生きることを選んで 婚家を出たんだから、
生きる為に 親を切っても良いだろう?
親不孝だと 誰に言われても言い。

私のことを親不孝だと言う人は、私を知らない人だから。
私は 私が一番大切だ。
私を殺そうとしている親よりも、自分の人生の方が大切だ。

『PO』で言った私の言葉
私はもう死んだと思ってくれ!
死んだと思って、諦めれくれ!!

ここまで頑張ったんだから、
私は もう 私の人生を生きても バチは当たらないだろう。


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