★ 夏海の日記 ★
目次|前の日|次の日
2001年10月29日(月) |
お医者さんへ行って来ました |
前回から、もう2週間経ったのね。年を取るのは早いわぁ〜(センセイも、そう言ってました 笑) 受付カウンターに、センセイが載った新聞のコピーが置いてあったので、貰って帰って来ました。 『じゃじゃ〜ん!!とうとう院長新聞にのっちゃいました』って書いてあるの。 私の病院って、明るいわ(笑) 内容は、『教えて!ドクター Q&A』
Q. 同居している主人の妹が、うつ病と診断されました。家族としてどのように対応したら良いのでしょうか。
A. ストレスの多い現代社会では、うつ状態やうつ病の人が増えています。 うつ状態とは、気分がひどく落ち込み、何事もおっくうになる状態をいい、うつ病はこのうつ状態にある時期を繰り返す症状のことを言います。しかし、うつ病は単に気持ちも問題ではなく、セロトニン、ノルアドレナリンといった脳内の神経伝達物質の働きが悪くなることによって起こると考えられています。 うつ病の治療には家族をはじめ、周りの人の温かいバックアップが欠かせません。まず、うつ病という病気を理解してあげることが必要です。うつ病の人は、怠けているのではなく、頑張るエネルギーが少なくなっているのです。その為に、励ましは逆効果となってしまいます。また、気分転換に外出や運動を進めるのも良いことではありません。患者さんが安心して休めるように、サポートしていくことを心掛けて下さい。
やっぱり私の考えていた『うつ病』の印象と、同じ事が書いてあるーー! 女脳男脳に付いて、友達と話をしたんだけど、女性のうつ病が多い傾向にある(それって本当かなぁ...)のは、男性より女性の方が、脳内の伝達物質の線が太いからなんじゃないかって思います。 男脳・女脳 に付いては、後日書くね。面白そうだから(*^_^*)
風邪薬を併用した時期に、ちょっとヤバイ感じはあったけど、結構お薬で落ち着いた日々を過ごせたので、別に普通のお医者さんと同じ感じで、聞かれたことに答えるって感じで、診察が進んでいきました。 で、「他に何か話したいことは、ありますか?」って言われて、別になかったんだけど、子供の頃の二重生活(父母とパパママ それぞれの家で育ったことなど)の話をしました。 2週間前に「カウンセリングをしたい」と言ったら、「? 何をテーマに話がしたいの?」って言われて、特になかったので、「う〜ん...そう言われると、ない...」って答えたら、「じゃぁ、またの機会に」って断られたの。私は鬱に関してはお薬で何とかなるって思ってるし、不安はないわけではないけど、悲観はしてないから、じゃぁ、カウンセリングで話すのって何があるかなって考えました。センセイ曰く、「これもカウンセリングなんだよ〜」って言ったの。確かに、カウンセリングだよね。問診も。でも、時間が短すぎるって思ったの。じっくりと話ができない。(実際受けたことがないのだけど、時間どれくらい持たせてくれるんだろう) 私の母には相談とかできないし、本音を話せる相手として、『もしも』の時のために、カウンセリングの人と知り合いになっていたいって言うのが本音かな。(相性もあることだし)悩みにしても、結局解決するのは私なので、私が『本当は』どうしたいのか、どう思っているのかっていうことを引き出してくれる相手として、カウンセラーの存在が欲しいの。(変かなぁ...?) ここずーっとのテーマである、『子供をどうするのか』ってことも、もう私には分からなくなってる。欲しいのか、欲しくないのか。本当は、どうなのか、が知りたい。
と、いうことで、私が如何に信頼できる相談相手がいないかを説明するために、両親の他に親と呼ぶ存在がいて、不安定な子供時代を過ごしたという話をしたの。 淡々と静かに話をしました。でも、「親が忙しくて、この家に預けられた可哀想な子」と言われて育ったと言葉に出したら、涙が出てきました。あらら...私は、まだそこから立ち直っていないんだ...って、とっても冷静に思いました。私は可哀想な子供だった...? こうなる(うつ病になる)前は、幸せな子供時代を過ごしてきたって思ってました。父母は好きではなかったけど、私にはパパとママがいるって。でも、こうなって、子供時代の記憶がないってことに気が付いた。私はとっても辛かったの?まだ傷は癒えていないのかなぁ...?泣くってことは、癒えてないんだろうね。まだ可哀想な子のまんまなんだね。う〜ん...立ち直ったって思ってたのになぁ。
子供のことも聞かれました。どう?って。 私の結婚して最初の悩みは、産む場所が、ないってことだったの。実家には、もう住みたくない。私には実家がない って思っていたし、今も思ってるし。あそこには、私の居場所は、ない から。実家へ『行く』のであって、あこそは私の『帰る』場所では ないのです。 過去に流産したとき、実家へは帰れませんでした。夫の両親と同居していたけど、実家へも帰れなかった。毎日死ぬことばかり考えて、もうダメだ〜ってパパママの所へ行こうって思った直後に、家の仕事の手伝いを再開しなくちゃいけなくなって、なし崩しに仕事に復帰しました。 流産した経緯も、義父の心ない言葉を毎日毎日聞かされて、そのストレスのせいだと思っています。毎日が、とっても辛くて、辛くて。 で、やっぱり話しているうちに涙が出てきました。 7年も昔の話。でも、その傷は、まだ引っかかれるとすぐに出血するのね。
そうやって泣いて、泣いて、いっぱい泣いて 過去に変えて、それらも含めて自分を愛せるようになれば良いなぁって思います。 カウンセリング、したいなぁ〜
|