★ 夏海の日記 ★

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2001年10月16日(火) アルコール依存症〜新聞から〜

いつもの新聞からです。
長くなりそうなので、今日はまず『新聞だけ』入力しますね。

ヨーコ先生の 精神科入門(精神科医・詩人 斉藤 陽子)

【アルコール依存症 1】
 家族の一員にアルコール依存症が疑われたとき、専門家に相談するのは当然と思われるかも知れません。しかし、事態はそう容易に展開していかないからこそ、末期状態での受診が多くなるわけです。そこには、どんな問題が潜んでいるのでしょう。
 さて、質問。皆さんは家庭において、何らかの役を演じていると意識したことはありますか。
 例えば、物分かりの良い父親、優しく朗らかな母親、自慢の娘...。社会の最小単位である家族が均衡を保つために、それぞれが無意識に、特徴的な性格を受け持っていると考えることができるのです。中には「反抗的な息子」という役を演じている人もいるでしょう。
 通常は健全に機能している”家族劇団”ですが、アルコール依存症の家庭はどうなのか。その一例を紹介します。
 仕事に接待にと、家庭を顧みる事のない夫に不満を募られていた妻。酒量が増えていき、会社にも行けなくなった夫の面倒を見ることで充足感を得る。時々暴れれば、息子が母親をかばう ―― ここでは、依存症患者が家庭内の不安や怒り、緊張感といった負の部分を全て請け負って表現することで、妻と息子は”世話焼きな女房”と”母親思いの息子”をいう健全な役を取得できるわけです。
 本来解決すべき家庭内問題が、この図式に隠れて見えなくなっている、という考え方も出来ます。依存患者の存在が、家庭の安定を維持するためには不可欠というパターンに陥ってしまうのです。
 否認の病気であるアルコール依存症。本人のみならず、その家族もまた、足並み揃えて治療に取り組む必要があるんですね。そこには、根深い家族の病理が見えてきます。

【アルコール依存症 2】
 依存患者の面倒を見てしまう、優しい親・配偶者などの支え手を「イネイブラー」と呼びます。しなし、患者のみならず、イネイブラーもまた、不安や依存性が強いときています。患者を支えていく行為によって、自分が持つ内面の葛藤(かっとう)を解決する、そんな病理が見てえてくるのです。患者を養っていくことに、自分の存在価値を見いだすんですね。それを受け、最近ではイネイブラー改め「共依存」と呼ぶのが適切だと考えられています。
 原因が何であれ、患者が飲酒という行為に逃げる、つまり自分を守ろうとするわけですが、酔いつぶれて迷惑を掛けたり、失業したりと、さまざまに派生してくる問題を自分で処理できるはずがありません。共依存者は手助けすることによって依存を助長していたと言うことになるのです。
 まず、そこに気付くことから、共依存者の治療あるいは教育が始まるのです。
 こうして、人間関係のゆがみに焦点をあてていくと、隠れていた問題が次々に浮上してくる事が少なくありません。虐待があったり、子供の不登校があったり。飲酒問題は、深刻な諸問題の隠れ蓑にすぎなかった、ということだってあるわけです。
 依存者の家族は皆、依存とは限りません。そかし、往々にしてよくみられることもまた事実なのです。だれもが家族として、あるいは友人として問題に直面する立場になりえます。
 アメリカでは、飲酒運転で数回摘発されると、アルコール依存症の治療プログラムに参加させられる所があります。一方、依存治療が遅れがちな日本。早期発見は、皆さん一人ひとりの適切な判断と行動にゆだねられているのです。とにかく専門家に相談を。治療へつなぐ方法を、一緒に考えていきましょう。

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 アルコール依存症のシリーズの第3と4を紹介しましたが、アルコールがなぜ依存に繋がるかという記述が、この前にありました。
タバコやアルコールの依存は、『自分を満たしてくれる』『人と違って、裏切らない』そして、これが依存になる一番の問題点である『自分は、いつでも止められる』と思っていること、が特徴です。
 『否認の病気』とは、つまり『自分は、依存症ではない。今すぐにでも止められるんだ』と過信し、自分が依存症だと認識できない病気だということです。

 私は、アルコール分解酵素が体内にないのか、お酒を飲めない体です。夫もあまり飲めません。だから、幸いなことに『アルコール依存症』では悩まなくても良いんですが、このシリーズを読んで、心に引っかかったこと、考えたことを、明日お話ししようと思います。


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