★ 夏海の日記 ★

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2001年10月07日(日) 沖縄旅行後記

今は12月だけど、これ、沖縄旅行へ行ったすぐに書いたものなの。だから、その時の思いが 書かれています。


沖縄への旅で、私は『マイペース』『普通』『自分』が、いかに自分になかったか、ということを思い知らされました。

私は、『私が』何かしないといけない という思いに、囚われてる(でも、それは私にとって『普通』に行われているの)。相手に「お願い」って頼めない(甘えられない・頼れない)の。
朝、空港まで車で行くのに、「迎えに来てくれる?」って素直にお願いできなかった。私の方が10分ほど空港に近いにも関わらず、「迎えに行こうか?それとも、迎えに来てくれる?」という聞き方しか出来なかった。往復20分程のロスは、早起きの苦手な私にはキツイけれど、『運転嫌い』な友達に、空港まで運転させるのが申し訳なくて。
沖縄に着いてからの運転は、当然私がした。(「私にナビをしろってか?^^;」って言いながら、友達は地図を逆さまに見てました 笑)

私の基準は、他人なので、「何がしたい?」とか、「何が食べたい?」って聞かれても、どこまで自分の意見を言って良いかの加減が分からない。そういう『加減が分からない』と思う時点で、『普通』ではないんだと思う。(そして、『普通』ではないと思うこと自体が『普通』ではないんだけど)
自己主張をしてこなかった、そういう練習をしてこなかったので、「どうしても○○が食べたい」とか、「どうしても○○がしたい」という『こと』がなくて、それが叶えられなくても全然平気でこの歳まで来てしまった。
1人だと自分のコトだけを考えて行動できる。でも、他人が一緒だと、他人のことまで考えて判断しなければいけないという強迫観念というか、つまり、相手に喜んで貰えるように行動とか選択する癖が、かなりこの旅行でも出た。(だからと言って、リラックスしていないかと言うと、かなり楽しんでリラックスもしていたんだけど。だって、それが私のパーソナリティーだから)

私の周りでは、例えば食事に行って、小皿に取り分ける係りの人のことを、「お父さん」「お母さん」と呼ぶ。一緒に旅行に行った友達の周りには、「お父さん」や「お母さん」が一杯いて、彼女の為に『何かしてあげたい』と思わせる雰囲気を持っている。そして彼女は私と違って、他人の手を煩わすことに ただ素直に感謝するだけで、借りを作ったと卑屈になったり、申し訳なく思ったりしない(たぶん、それが『普通』なんだろう)。私は私のことに他人を煩わすということに対して、とっても気を使う。だから他人の好意を疑わず、素直に受け取れるように育った彼女が羨ましいと思う。(だからと言って、彼女が何もできないかというと、何でもこなせるし、人を頼ったりしない、ちゃんとした大人の女性です)

私は『何か(誰か)の為』という目標を与えられれば、てきぱき仕事をこなせる、つまり学級委員タイプで、だから、他人の為に何かをするのは得意だけれど、自分の為に「何がしたい?」と聞かれると困ってしまう。
既婚者の私に、なかなか来られないであろう沖縄を楽しませてあげようと思っている友達が、私の希望を優先にと聞いてくれるのだが、わたし的にはすごく頑張って希望を並べるのだけれど、他人を優先にすることが日常な私なので、「ここ!」と決定できず、彼女をイライラさせてしまう。
彼女は、やってもらう、連れていってもらうのに慣れていて、自分でずんずん行くタイプではないので、予定がなかなか決まらなかった。

長くなったので、また次の日に書くね。


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