★ 夏海の日記 ★
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2001年08月25日(土) |
『励まさない』大切さ |
壊れてしまった日記のお陰で、1ヶ月も『空き』スペースができたので、 書き込みたいことが出てきたら、自由に書き込みたいと思います。
さて、今日は『鬱病の人を励まさない』ってことについて
9月14日の中日新聞の『心の危機と向かい合う』(東京都精神医学銅像研究所、精神科医:高橋祥友)に書かれてあったものが、 まさしく私の言いたかったことだったので、ちょっと引用して書き込みます。
【例】
職場に鬱の治療を受けている人がいます。気分転換のために、みんなで飲み会をしようと計画しています。 鬱病の人を励ますのは良くないと聞きました。それはどうしてですか?
【私の体験&考え】
『普通の人』(鬱を体験したことのない人)は、鬱を言うと、『落ち込みの激しい人』とか、『病的に落ち込んでいる状態』だと思っています。 それは完全な間違いで、鬱って、『落ち込んでいる』んじゃないんです。 だから、「それは気のせい」とか、「気の持ちよう」だとか言われても、その言葉に傷ついて、 「それが出来ないから病気になったんだ!」って腹が立ちます。 「そんな言葉を聞きたい訳じゃないっっ!」ってね。
それに付いて、こう書いてありました。まさしく私が言いたかったことです。
>> 略・・病状を正しく理解できずに、勝手な解釈をしたり、安易な激励をしがちです。 >> 「最近すっかり元気がないじゃないか。気晴らしをしよう」などと、友人達が宴会に連れ出したりします。
>> そもそも鬱病になりやすい人というのは、他人に対する配慮が人一倍強いものですから、 >> そのような知人の好意を断ることもできずに、宴会に出掛けてしまうかもしれません。 >> しかし、鬱病のために人と会うのもおっくうになっているのに、 >> そのような席に無理矢理連れ出されると、ますます憂鬱気分は強まってしまいます。 >> 周囲の人が盛り上がっていて、それも自分の為に宴会を開いてくれていると思えば思うほど、惨めな気分は強まってしまうのです。 >> それでなくても、自信を失い、自責感にかられている人が、周囲の元気な人々の姿を見て、ますます落ち込みが深くなることさえあるのです。
>> 知人がふさぎ込んでいるのを見て、花見に行こう、温泉に行こう、宴会をしようと、 >> 何とかもり立てようとするのが人情かもしれません。 >> その気持ちが理解できないものでもありません。 >> しかし、鬱病にかかっている人に対しては、むやみに激励するのではなく、 >> 仕事のことはある程度、周りの人に任せて、休養に専念するように配慮してあげることが大切です。
>> 鬱病の患者さんはもともと責任感の強い、真面目な性格ですから、 >> 励まされればされるほど、健康な時とは異なる今の自分を見つめて、かえって憂鬱になってしまいます。 >> 心配しないで、充分に休養を取り、適切な治療を受けていれば、 >> 次第にエネルギーが戻ってくることを助言して下さい。
2001年9月14日の中日新聞 朝刊 『心の危機と向かい合う』より
【感 想】
人といるだけで、気を使ってしまうのが、どうやら私の性格らしい。 それが、人に気を使われていて、 その上、その気の使われていることが、私にとって重荷で嬉しくない。 でもそれを、(気を使ってくれる)相手に悪くて悟られないように、もっと気を使う。 もう 最悪です。 ただ 放っておいて欲しかった。 「自分と自分でそういう状況を作ってる」って言われても、 「そんなん解ってんねん!解ってて、自分でどうにかできひんから、辛いねん!それが病気やねん!!」って腹が立ったり、 昔の自分と違う自分に失望したり落ち込んだり、絶望したり...。 夫は、励まさなかったし、慰めなかった。 何の理由もなく泣き出す私に、何も言わず、ただそこに居てくれた。 私がどうなろうとも、夫は『普通』だった。 だから、ありがたかった。
だから、どうか 身近に鬱病の人がいたら、変に慰めたり励ましたりしないで『普通』でいて下さい。 今現在鬱で悩んでる人は、これを読んで貰って下さい。
トンネルの中にいると、太陽は見えないけど、 トンネルはいつか出口にたどり着いて、その出口には青空が広がってるから。 頑張って生きようね。 今は、生きることにだけ、頑張ればいいからね。
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