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2002年10月31日(木) ウェブ日記を書きつつ思う

昨日、私の日記に

「あぁ〜ん」 という検索でいらっしゃった方、

大変期待はずれで申し訳ありませんでしたぁ。


一体私の日記のどこにそんな言葉が入っていたのだろう?と思ったら
8月29日付けの「リバーサイド・ホテル」という日記に
タイのプーケットのリゾートホテルに数年前に行ったことを書いていて

あぁーん  また行きたいっっ

って… ええ。それだけなんですけど。(ーー;

こんな語句で検索結果約1420件中41〜60件目にこの日記が出てくるとは…

Google ってあなどれません。 いやほんとに。



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私は若い頃 (いや今だって気持ちだけは若いですが。はは…)
まだ学生ぐらいのときには、人と人は「話せばわかる」と思っていた。

どんな人でも、少なくとも自分の周りにいる自分と近い環境や立場の人間なら
腹を割ってしっかり話し合えば、必ずや理解が生まれると。

今から思えば恥ずかしいほどに青臭いのだけれど。


それから○十年を経たいま現在
私は基本的に「人と人はわかり合えないもの」だと思っている。

そこまで大きく考え方を変えさせるような不信があったとかいうわけではない。
普通に大人になる階段を上がってきて、それなりに成長や挫折もあった。
ときには人間関係の壁にぶつかることも多々あったけれど
おかげさまで、人を憎むとか人間不信に陥るというようなところまでは至らず
今では日々のコミュニケーションがほとんどネットによって繋がっている、
そんな生活をしているのだけれども

「人は容易には他人と理解しあえない」と思っている。

理解するのが難しいからこそ、人は歩み寄ろうと努力するのだ。
理解できないからと言って否定するのとは違う。
理解できない人の存在も認める。 
むずかしいけれど、それが大事なのだと思う。
「そういう人もいるんだ」って。
わかり合えないことは必ずしも悲劇ではないかもしれないし。

(国と国との問題だとまた別だけれど。
 どちらの立場も国益に繋がることは「正義」なのだろうから。
 大きな感覚の違いを思い知らされる日朝間交渉・・・・・)


自分をわかってもらえないことは悲しいけれど
わかってもらえない方が普通なのかもしれない。
わかってもらえるって素晴らしいことだよね?


ネットの世界だって同じこと。

いつも小まめにメールくれる人も
私の日記を日々読んでくれて何かあったら即電話くれる人も
明日から始まる11月に、会おうと約束している何人かの人も、
みんなネットで知り合った人だ。
だから私にとって、ネットが「バーチャルな世界」とはもはや言い難い。
人間関係という点では、全く現実の周囲の関係と同じなのである。私の場合。

よく「ネットは言葉だけだから難しい」というけれども
顔が見えるから理解しあえるというものでもないし、
日記やメールの文章から、存外「人となり」がにじみ出るもの。
顔が見えないからこそ作り上げられるイメージはそれこそ軽視できない。


だからね
言葉には気をつけなくてはね。
と痛感させられた数日前。

少なくとも、顔が見えないのをいいことに
(って、もういっぱいいろんな方とオフで顔合わせしているけど)

どうせネットだけのことだからと、言いたいことを垂れ流しているわけじゃない。



私は、複数のWeb日記を書いていますが
いずれも少しばかり違う心持ちでキーボードを叩いています。

共通しているのは、自分がWeb日記を書く意味を
ときどき考えながら確認しながら


「私はここにいるよ」 とちょっぴり呼びかけつつ

書いているということ。








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最後まで読んでくださってありがとう。


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