「ガイちゃんなら来てないわよお?」 任務完了の報告を滞りなく済ませ、開放されたカカシはとりもとりあえず、ガイの行きつけのあの居酒屋を訪れた。 ちょうど夕刻に差し掛かる頃で、営業開始の暖簾を用意している店主と、実に1年ぶりに顔を合わせたところ、開口一番、そう言われてしまった。 とりあえずお入りなさいな、と促され、店内に足を踏み入れたところ。 「・・・・・この香りって・・・!」 「断っておくけど、ガイちゃんには今年まだ、作ってもらえてないのよねえ。でも、お客さんからの注文があるし、今回のは仕方なくアタシのお手製、ってワケ」 嗅ぎ覚えのあるフキノトウの香りに、思わずその場に立ち竦む。が、店主の告白にどこか力が抜けて、そのままカウンター席に陣取った。 簡単な料理を注文したものの、何から聞けばいいのか躊躇しているカカシをどう思ったのか、店主はどこか痛ましい表情で話しかけて来た。 「ここのところあなた、ガイちゃんとずっとすれ違いばっかりだったんですって? 体が鈍る、とか言って、退屈そうだったわよん」 「・・・来てたの、あいつ」 「一応常連だしねえ。けど、それも1週間も前の話。詳しくは教えてくれなかったけど、特別任務を命じられたとかで、しばらくは戻れない、って言ってたわ。 折角の花見の時期なのに、帰って来る頃までには散ってるだろう、って残念がってたわねえ」 「・・・・・」 カカシが里を出た頃は、桜はまだ蕾のままだった。そして戻って来た今は、ほろほろとほころび始めていた。満開はこれからだ。 その桜が散るまでにガイが戻らない、と言うことは、相当長い期間任務に縛られることを意味する。 「・・・けど、野生のフキノトウは出始めているよね? ガイに例の焼き味噌、頼まなかったの?」 つい咎めるような口調のカカシに、店長は難癖には慣れているのだろう、軽く肩をすくめて見せた。 「あなた、よほど木ノ葉から離れていたのね。道理で見かけなかったはずだわ。 あのね、里はここのところずっと雨が降ってて、収穫なんか出来なかったの。ガイちゃんも何かと、忙しかったし」 「・・・つまり、店長があいつに焼き味噌をせがむのは、天気が良くてフキノトウが取れて、ガイの体と時間が空いてる時期に限られてた、ってワケ?」 「チッチッチッ。甘いわね。写輪眼ともあろう男が、肝心な条件を忘れてるわ」 もったいぶりながら言葉を切り、出来上がった料理をカカシに手渡してから、厳かに告げられる店主の言葉。 「最大不可欠な条件、それは、ガイちゃんが無事で、心身ともに健康であること」 ───ああ、やっぱり。 ここの店にとって、フキノトウの焼き味噌はつまり、ガイが無事であることの証、みたいなものだったのだ。 忍をやめたと言う店長はともかくも、ガイがこれほど香りの高い食材を扱うとなると、さまざまな意味で慎重にならざるを得ない。 調理を行なう手が無事なのは言うに及ばず、ガイに血生臭い任務が割り振られていないことが、最低条件。任務直前でも、任務直後でもダメだ。 直前なら、不自然に強すぎる残り香が体につき、隠密を必要とする任務に支障をきたすかもしれない。あれほどカレーの好きなガイが、重要任務の前後には決してカレーを作らないし口にしないのと、同じ道理だ。 そして直後だと、体にまとわりついた血の香りが、折角のフキノトウのいい香りを、台無しにしかねないから・・・。 あの草むらで、フキノトウを摘むのをやめた時、カカシはそのことに気づいたのである。 ガイのお手製のあの焼き味噌は、彼が束の間ながら、当面の平和を勝ち得た年のみ、振舞われるものなのだ、と。 「・・・アタシがまだ忍やってた時・・・あ、結局下忍止まりだったんだけどね、色んな任務してて。ちょうどやっぱり下忍だったガイちゃんと、知り合ったのよ」 すすまないまでも料理に箸をつけたカカシの傍で、店主は昔語りをする。 「ひどい戦闘があってね。みんな全滅するかも、って覚悟したぐらいに、ひどいの。けど、ガイちゃんだけは前向きでねえ。 『絶対に生きて帰るんだ、だから皆も頑張れ!』 って叱咤激励されちゃった」 「はは、ガイらしいな・・・」 「でしょでしょ? おかげで全員、無事木ノ葉に帰り着くことが出来たんだけどね」 見れば店長は、自分で作ったというフキノトウの焼き味噌を、手近な器に盛り付けている。 「その時のアタシ、結構ヤバい怪我してて。もし意識を失っちゃったら、そのままこの世とはサヨウナラ〜、って状況だったの。だから、ガイちゃんってばアタシに肩を貸しながら、何かと色々話しかけてくれててね、意識を途切れさせないようにしてくれてた」 そうして、見栄えだけはガイの作ったものと遜色ないものを、カカシに差し出した。 「その時に話してくれたことの1つが、このフキノトウの焼き味噌の話。ガイちゃんのお父さんの好物だったんですって?」 「そう、聞いてるよ」 「任務で収穫の手伝いに行った時、そこの農家の人から作り方を教わったんですって。 あんたたちがこの辺を守ってくれてるから、今年もこの平和ないい香りと再会することが出来たんだ───って、そのお礼に」 「・・・それで?」 「何となく、察してるでしょ? その思い出話聞いてるうちに、これ以上ないってご馳走に思えてさ。食べてみたいな、ってアタシがつい言ったら、『生きて帰ったらいくらでも作ってやる』って、ガイちゃんが約束してくれたってワケ」 「それを律儀に、今でも守ってるわけだ、あいつは。・・・マメだねえ」 ───自分以外の人間にも、相変わらず熱血で情熱的な態度をとってたんだ。 それが微笑ましくて、それでいて少し悔しい気持ちもして。 カカシは軽く両手を合わせてから、店長お手製とやらの焼き味噌を口にした。 似た香りで、似た味、似た苦さ。 それでもやはり、あの時食べたものとは何となく、違う味。 「これはこれで、結構美味しいんだけどなあ・・・」 「でしょ? でもどこか、味気ないのよねえ」 アタシの熱血と根性と青春が足りないのかしら? と本気で首をかしげる店長に、カカシは思わず吹き出す。 ───任務は無事遂行したものの。 ガイが両手に大火傷を負い、木ノ葉の病院に担ぎ込まれた、とカカシが聞いたのは、それから10日後のことだった。 ------------------------------------ 「あの・・・カカシさん?」 「何? シカマル? その書類にはちゃんと、サイン入れたデショ?」 「いえ、そのことじゃなくて・・・」 その日。 六代目火影として、執務室でさまざまな雑務を進めていたカカシは、彼の側近となった奈良シカマルに、それは怪訝な目を向けられた。 何かしくじりでもしただろうか? と首をかしげていると、「プライベートに口出ししたくはないんスけど」と前置きした上で、シカマルはぼそぼそ、と言葉をつなげる。 「その、さっきからこの辺一帯に漂いまくってる、青臭いっていうか、独特の匂いが気になって。・・・何なんスか?」 「え? ああ、これ? ゴメンゴメン、すっかり鼻が慣れちゃったから、意識してなかったよ。ひょっとしてシカマル、こう言う香りって苦手な方?」 「苦手、ってほどじゃねえけど。・・・漢方薬でも煎じてるとか?」 「漢方薬、ねえ。まあ、広い意味では、似たようなものかもしれないけど」 ───ナルトたちと比べて随分大人びていると思ったんだけど、意外にそうでもないってことね。いい香り、って思えるには、もう数年必要ってトコロ? 何だかんだ言って、シカマルもまだまだ青年の域なんだな、と、ちょっとだけ微笑ましくなるカカシである。 「どっちかと言うと、ご飯のお供というか、酒の肴、の類だよ。ガイに頼んで、厨房で作ってもらってるんだ」 「・・・ちょっと待ってください。ガイ班って、今日から短期の里外任務のはずじゃ」 「あーそれね。今日になってドタキャンされちゃって。いい迷惑だったよ」 もちろんキャンセル料はたんまりせしめたけど、とカカシが浮かべた黒い笑顔に、シカマルもそれ以上は突っ込まない。 「・・・で、折角ガイの体が空いたから、どうせなら、って俺が依頼したんだよ。材料調達から後片付けまで一式、全部やってくれ、って。ガイ班総動員で」 「仮にも上忍に、腐っても火影が、何て気楽に依頼してるンすか」 「腐っても、って・・・何かトゲを感じない? その言い方。 けどその分だとシカマルの家じゃ、今の季節食卓に出さないってコト? ヨシノさんなら手ずから、作ってくれそうだけどなあ」 「は? 俺んちの食卓に、っスか? 何を?」 「ヒントは、この香り。それと、今の季節限定の食材。・・・さすがの木ノ葉一の頭脳派も、分からないかな?」 「変なことで挑発しないでください」 半分からかわれているのを察したのだろう。目をつぶって春の香りを確かめながら、頭のデーターブックを総動員した後、おもむろにシカマルの口を突いて出た、言葉。 「フキノトウ・・・か?」 「ごうかーくv やっぱり君の知識の泉は広いねえ」 「それ、単にオッサンくさい、って言われてる気、するンすけど。 ちなみにうちでは、おふくろが天ぷらにします。揚げたてならそこそこいけるンすけど、冷めると結構苦いから、俺はあんまり食わねえな」 もっとも、と、切ない思い出にかられたらしく、少しだけシカマルの顔がうつむき加減になる。 「親父は、好きだったみたいですね。そう言えばこの季節、親父が家で夕食をとる日は決まって、食卓に並んでいた気がします」 「・・・そっか」 「去年やおととしは・・・どうだったかな。あの頃は色々といっぱいいっぱいで、食欲とかあんまりなかったから、出てなかったかも」 精をつける、と言う意味でも、息子が苦手なものを食卓に並べるような母親では、なかったろう。きっと、少しでも箸がすすむよう、好きなものばかり作ってやっていたに違いない。 今になってその配慮に気づいたと見えて、一瞬惜しむような表情を浮かべて両眼を閉じ。 再び開いた時には、シカマルにはいつものけだるそうな目が戻っていた。 「・・・それで、カカシさんのトコはどうだったんスか? 何か、味噌の匂いまでしてるけど、そう言う調理方法だったとか?」 「違ーうよ。俺の懐かしの味じゃなくて、あいつの親父さんの好物」 「は? ガイ先生の親父さんの味を、リクエストしたんスか? 何で?」 「んー。平和になったなあ、って思ってねえ」 「?????」 さすがのシカマルにも、その辺の事情は推理できないだろう。情報が足りなさ過ぎて。 ───あの年の晩春。 何とか時間を見つけてカカシが見舞いに訪れると、ガイは病室で食事の真っ最中だった。 指に巻かれた包帯と痛みに悪戦苦闘しながらも、戸口の友人の姿を見つけた途端、いつもの開けっ広げな笑顔を向ける。 『火遁使いがいたんだって?』 『おうよ。結構ヤバかったな。何せ火に邪魔されて、なかなか近寄れなかったんだ』 『・・・どうせお前のことだ。無理やり火の中に突っ込んで、突破口を開いたんだろう?』 『さすがだな、そこまで見抜いているとは。それでこそ、マイ・ライヴァルだ!』 つい恒例のナイスガイ・ポーズをしかけて、指の痛みがぶり返したらしい。「痛くないぞおおおおっ!」と、無駄な気合を入れるのを、カカシはどこか安堵した気持ちで眺めていた。 ───おそらくは、火遁使いが一番の難物だったのだろう。 むろん敵が単独で行動するわけもないから、他の仲間たちは別の忍たちからの攻撃をしのぐのが、精一杯で。何とか迅速に動けるガイが、やや強引な方法で火遁使いを倒した、といったところか。 両手指の大火傷は、その代償だ。 分かっている。それしか方法がなかったのだ、ということは。 けれど、もう少しやり方を考えろ、と思わずにはいられない。 そうでなくても、もともと体術使いは直接的な攻撃な分、ダメージもまともに食らってしまうのだから。 『・・・今年はもう、例のものは作ってやれないなあ・・・』 味気ない病院食に、記憶が刺激されたのか。ボソリ、と呟くガイ。 『命あってのものだね、だろ? 店長も分かってくれるんじゃないの』 『そうは言っても、この機会を逃したら、次は1年後だ。それも、作ってやれるかどうか、約束できるものでもないし』 悔しそうに呻くガイの横顔を見ながら、カカシは改めて確信する。 やはりガイにとっても、フキノトウの焼き味噌は、平和な春の訪れの証だったのだ、と言うことを。 あれだけ渋々、と言う体を装いながら。 まるで、分かる者には分かる、合言葉のように。 だからこそ、店を訪れた多くの客が、店長の作ったものより、ガイのものを好んだのではないか。 『・・・あのさ。妙にこだわるよね。親父さんの好物だ、って言ってたけど、ダイさんはひょっとして毎年作ってたわけ?』 『言われて見れば・・・そうだったな。下忍止まりだったから、よほどのことがない限りめったな任務は回ってこなかったらしい。ほぼ毎年、食ってたっけ・・・』 その思い出故に、毎年の春の風物詩として、ガイは覚えているのかもしれない。子供の頃の出来事は、1年1年が全て大切な宝物なのだから。 『・・・現状を嘆いても仕方がない。もっと俺が、強くなれば良いだけの話だなっ』 退院したら早速修行せねば、と。 ガイが出した結論は結局、呆れるくらいいつも通りのポジティブなものだった。 ■続く■ ※スミマセン・・・後編まであります・・・
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