生徒指導室での話が終わった頃、辺りはすっかり暗くなってしまっていた。学校に残っている生徒も、もうわずかである。 「もうこんな時間か・・・」 急いで下校すべく、流川や彩子と一緒に廊下を歩いていた二階堂だったが、ふと思いついたように2人を振り返る。 「・・・そう言えば流川。彩子くんの家って、君の帰宅コースの途中なんじゃなかったっけ?良かったら彼女の事、送って行ってあげてくれないか?」 「え」 どうしようか、と考えたのは一瞬だけ。 「あ、あの、キャプテンいいですよ。確か流川は自転車通学でしょ?2人乗りするのもどうかと思うし、自転車引かせて一緒に、って言うのももっと悪いし・・・」 ───彩子が慌てて断ろうとしたのを見て、逆に決心が固まる。 「別にいーけど」 「そうか。助かるよ。やっぱり夜に女の子を1人で帰す、って良くないからさ」 「そんな、大げさですよ」 「こう言う時の好意は、受け取っておくもんだよ。な?頼んだよ、流川」 何やら思わせぶりに、二階堂がこちらへ目配せをした事も、引き受けた理由の1つではあったが。 とりあえず明るい玄関前で彩子には待っていてもらい、いったん流川は自転車を取りに自転車置き場へと向かっていた。くるくると指先で鍵を弄び、ボーッと何も考えないまま。 が、自転車を引いて彩子のところへ戻ろうとした時、何やら騒がしい気配に眉をひそめる。 「どうして塚本さんをフったりしたんですか!?」 そんな、怒りにも満ちた弾劾の声を耳にした瞬間、流川は走り出していた。 状況は予想通りだった。何とか見覚えのある女子バスケ部員が、一斉に彩子へ詰め寄っている最中に、流川は到着したらしい。 「塚本さんがあんなに悲しそうにしているなんて!ひどいじゃないですか!」 「そうよ!どうして交際してあげないのよ!」 全員、塚本の取り巻きっぽいことをしていた女子ばかりだ。彩子が言い返さないのをいいことに、かさにかかって一方的に責め立てている。 二階堂が心配していたのは、きっとこの事に違いない。 「ちっ」 どうして女というのは、こうもすぐツルみたがるのだろう。 それに、立場の弱い1人を大人数でつるし上げるとは、卑怯もいいところではないか。 「おい!」 流川は鋭く、そうとだけ言って割って入った。 「る、流川くん!?」 突然の乱入者の存在に、今まで言いたい放題だった連中が一気にひるんだ。 「・・・流川・・・」 「遅れて悪いっす」 言うが早いか、流川はむんず!とばかりに彩子の手を掴むと、とっととその場を抜け出してしまう。 ───呆気にとられた一同が、予想外の、いかにも美男美女の取り合わせに大騒ぎするのは、それからしばらくしてからのことであった。 「・・・サンキュー流川。これで2回目ね、あたしのこと助けてくれたの」 自転車を引き引き、家路を急ぐ流川に並んで歩きながら、彩子はそう、切り出した。 「何もしてねーっす」 「・・・じゃ、そういうことにしておこうっか」 彩子は流川の無愛想さを気にした風ではなかった。それどころではない、と言う事もあるだろうが。 ───うっとおしい女(ヒト)じゃねーんだな。 そう、流川は漠然と感じる。 今まで彼の周囲にいた女たち(母親除く)はみな、すぐに自分のペースに持って行こうとするのが常だった。何とかして口をきかせようとか、こうしてほしいああしてほしい、と行動を制限しようとするか・・・。 が、彩子の場合、そういう押しつけがましいところはあまり見うけられない。正直な話寝ていない流川が、こんなに自然体で異性のそばにいられるのは、母親以来のような気がする。 何故だろう? と考えて、その答えに思い当たった流川は、少しばかり憮然とした気分になった。 (先輩は、俺を男だって意識してねーからだ) 「どうしてなんだろ・・・どうしてこんなことになったんだろ・・・あたしは塚本先輩のこと、尊敬ならできるのに。それだけじゃ・・・どうしていけないんだろ・・・?」 流川の心境を知ってか知らずか、彩子はいつしかそう呟き始めている。 「不思議なんだけど・・・どうしても考えつかないのよ。あたしがただ1人を応援してる姿ってものが。あたしが好きなのは、バスケットボールを追いかけてる『みんな』なんだもの・・・。ううん、ひょっとしたら、『みんなが』追いかけてるバスケットボールの方かも、知れない。ドキドキするの。ボールを掴む時の手に当たった感触。ボールが飛んで行くその方角に。・・・おかしいわよね、何だか、バスケそのものに恋してるみたいで・・・」 流川は合点が行く。だから、あんな風に言ったのかと。 ───あたしにとって・・・バスケは恋人みたいなものなんです。 それは流川も同じことだ。だけど決して、自分がおかしいとは思わない。 だから、彩子にもそう感じて欲しくはなかった。 なのに彼女の独り言は、そのうち妙な方向へと曲がって行く。 「やっぱり・・・塚本先輩に言われた時、交際OKすれば良かったのかな・・・そうすれば、部のみんなにも迷惑かけずにすんだのかなあ・・・」 「ンなことねー!!」 思いもかけず大きくなってしまった声に、流川は自分でも驚いていた。顔には出さなかったが。 「ご、ごめん、愚痴るつもりはなかったのよ」 今まで無口だった後輩の反論がよほど信じられなかったらしい。どうやら彩子は「聞かせられたくもない愚痴を延々聞かされた事」で流川が怒っている、と解釈したようだ。 「そう・・・よね。流川みたいに真面目にバスケをしてる人間にして見れば、ものすごく不真面目よね、今の。もう言わないわ、安心して」 その言葉通り、彩子は黙り込んでしまった。 だが当然のことながら、問題が解決したわけではない。口に出さないだけ、心にためこんで苦しそうな彩子を見かねて、流川は思わず言っていた。 「・・・勝てばいー」 「え?」 「先輩抜きで勝てばいー」 「流川・・・」 流川はゆっくりと顔を上げた。 ちょうど同じくらいの高さにある彩子の目を真っ直ぐ見据え、流川は言う。強く。 「負けねーから」 歩みは止まっていた。 流川の言葉の意味をゆっくりと噛み締めた彩子は、ほんの少しだけ、泣きそうな顔になった。 だけど、すぐに笑顔。 「・・・・ありがと」 それから彩子を自宅まで送り届けた流川は、1人夜の道を自転車で走りながら考えていた。 きっと彩子は、自分の言った事は単なる慰めだと思った事だろう。 ちょっと手の届かない、誇大妄想みたいなものだと。単に彼女を励ますために口にした言葉なのだと。 ───それでも彼女は笑ってくれた。今は・・・それだけでいい。 流川は、そんな風に思える自分が少し不思議で、それと同じだけ誇らしかった。 (続)
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