| moonshine エミ |
| 2003年04月25日(金) ワンダーウォッチング | ||||
| 金曜日なれど仕事の状況を鑑みるにとても予定を入れられず。 10時を過ぎて、「さあ帰ろうか」というところで、他部署の人と 「メシでも食って帰るか」という思わぬ展開になり、 A課長とB課長代理と三人で会社近くのお店へ。 二人とも、会社以外で一緒に食事をするのは初めて。 ・A課長は「ケセラセラ」人生 なんとかなるさ、そのときに考えよう、というタイプ。 いかにも昔ながらの明るく声の大きい営業マンといった風情。 気配りに長け、雰囲気を盛り上げるのが上手いのも営業マン的。 ・B課長代理は「リスクヘッジ」人生 深謀熟慮の策略家 あらゆることに対して自分の理論をもち、 誰に対してもはっきりそれを表明する 表明することに何より意義を感じるアメリカ人気質(当然日本人。) どちらもいい人だし、食事に誘ってくれるくらいだから私に取り立てて悪意を持っている人でもないのだろう。 しかし、価値観の相違をビシビシ感じる場、 なかなかに興味深い人間観察の時間であった。 B課長代理はとにかく自分の持論や経験談を語る。 私はこの人を「議論好き」だと認識していたのだが、 そうではなく「意見表明好き」なのだということがわかった。 コトコマカな根拠を述べながら、「だから、こうなんだよ」という。 相手の反応は二の次、言わなければ気が収まらないのだろう。 A課長はおおらかで朗らか、営業マンだけあって調整上手でもあるのだが、 ビシビシ意見を表明するB課長代理に刺激され(?)、自分の意見を述べ始める。 その意見は基本的に、B課長代理と逆なのである。 議論討論にいたるわけではないが、意見の一致をみるわけもなく、 相手の価値観を認めるわけでもなく、双方がそれぞれに自見を述べて、にこやかに話は進んでいく。 私にとっては何だか不思議。 意を汲み合うとか、相手から情報を取り込もうとか、 あるいは面白いことを言い合うとか、 そういう会話のキャッチボールの醍醐味を求めてないのかねー どんなに隙のない理論であっても、 自分の話題や自分の意思を述べるのに終始するのは、 あんまり魅力的じゃない、スマートじゃないんだけどね。 そういうことには考えを巡らせないのかな。 常に先のシミュレーションをして、意思どおりに物事を運ぼうとする生き方 明日の風にまかせて、その場その場の感触で決めていく生き方 そのどちらが良いか? ということの答えは あくまでも「その人にとって」であって、 どちらも個人の価値観という意味では全く同じ、正誤も優劣もないのである。 意識的にであれ無意識的にであれ、 みんな自分にとって一番心地よい選択をしながら生きているのだから、 机上の議論で、ことさら自分の恋愛観や見も知らない人の経験談を語られても、あんまり心が動かないんだよな。 よほど面白い話でないかぎり。 ああ、でも、語り手自身に興味があったら、その人が言うことは些細なことでもチェックして心にペッタンと付箋を貼るけどね。 A課長と同じ方向なので一緒に乗って帰ったのだが B代理の持論にさすがに閉口ぎみだった様子のA課長、 私と二人になっても、「あいつも、ちょっと固執しすぎなんだよなー」なんて、 B代理のことを一言も、冗談めかしてすら悪く言わず。 できてるなーと感心した。 この日、尾崎豊の11回目の祥月命日。 |
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