| moonshine エミ |
| 2003年02月01日(土) 『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』 すべてのはぐれ者たちへ | ||||
| 現在、午後11時45分、エミは非常にお腹をすかせております。 今日の夕飯はすき焼きでした。 えーんなのに、あんまり食べられなかったんです。 理由は、ご飯のときすっごく眠かったから・・・゜゜・(>_<) 夕方、ランニングしたら(今日はやや体調が悪く、5.2キロでおしまい。)、底なし沼に引きずりこまれるように眠くなってしまって、 「♪いっそこのまま夜明けまで〜」(by 小田和正“Oh! Yeah”) とも思ったのだけど、そうするとまた生活が不規則になっちゃうな〜と思ってガマンしつつ、ぼよよんとして食卓につくも、 食欲は睡眠欲にまぎれて隅っ子のほうでちっちゃくなっててさ。 そう、ちょっと体調が芳しくなくって。 いや、元気なんですが、なんだろう。疲れでしょうか? 下の瞼のキワに、ちっちゃいイボもできるしさー。ぐすん。 ■ 年が明けてからというもの、私の中では空前の(←大げさ。)映画ブーム。 といっても、『マイノリティ・リポート』以外はビデオですがね。 ビデオって、 「さーて、今週は何を見よう?」 と選ぶところから、もうすごく楽しい。 レンタルビデオ屋さん。いっぱい、おいてある。 映画の上映作品数の、何十倍も選択肢がある。 ハリウッドのもの。アクション。サスペンス。人間ドラマ。コメディ。ミニシアター系。好きな俳優や、監督のもの。日本の映画。時代劇。 たくさんのパッケージをゆっくり見ながら、 「いま見たいのは、どんなのかいな?」 と、自分の心に問いかける。 今日は、『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』を見た。 準新作扱いだったので、けっこう新しい映画みたい。 ロックが好きな人は、ぜひ、見なされ! 自分を「はみ出し者・・・」と感じたことがある人は、ぜひ、見なされ! いいですね。 主人公のヘドウィグ。 1961年東ベルリン生まれ。まだ壁があった時代。 好きな男と結婚するために、性転換手術をする。失敗。 アメリカへ行く。 壁は壊れる。 バンド。 恋。裏切り。 そして? (大丈夫、この次はまだ、ネタバレなしです。) この映画、先般見た「トレインスポッティング」と同じで、90分ちょっとしかない。 やっぱり、ミニシアター系って、予算の都合で時間もコンパクトになるんでしょうかね。 内容がよければ、長いよりずっといいことだと思います。 (そう、この日記も長すぎる・・・) そして、この90分ちょっとの中の、たぶん半分くらいは、 ヘドウィグやそのバンドの、歌! ライブも含めて! これがまあ、かっこいくて面白くて胸を打つんだわ。 映画の途中で突然歌が始まったりするのって、 ディズニーとかでも、ちょっと、気恥ずかしくなったりしませんか? なんか、その世界に入り込めないうちに歌われちゃうと、 何だよ浮いてないかこの歌? いや、浮いてるのは俺か?みたいな。 でも、この映画ではねー、引き込まれるよ! がっちり掴んでくる。 ド派手な化粧のオカマ、ヘドウィグが、すごく美しくかっこいく見える。 歌と、ドラマと、って交互に進む、それが気持ちいい。 しかも、英語で歌ってても、ちゃんと対訳が出て、歌詞もわかるしね! この歌詞がまた、いいんだわー。 ね? 見たくなったでしょ? 音楽好きのアナタ。 音は、グラムロック系です。イギー・ポップとか、ルー・リードとか、デビッド・ボウイとか、その辺が好きな人は特に。 あ、マドンナもこの映画にベタ惚れで、劇中の歌(すべてオリジナル。)を自分が歌う権利をすごく欲しがったらしい。 でも、そんなジャンルを知らなくても、充分ガツンとくるはず。 (ここからネタバレありだから、 見よう!と思ってる人はすっ飛ばしたほうがいいかも。) 男と女、その中間のヘドウィグは、長いこと自分の「魂の片割れ」とでもいうべき存在を捜し求めていた。 ラストはとても抽象的。 ヘドウィグの歌を盗作してスターになったトミー少年が、 「空にあるのは空気だけさ、運命の人なんていないんだよ」というような歌を歌うのを聴いて(この聴くシーンも、やや現実から離れた感じ。) パッと画面が変わる。 すると、ヘドウィグはかつらも化粧も派手な衣装も着ていない、 性別もこれまでのしがらみも全て脱ぎ去ったような、超越した様子でライブをする。 バックは真っ白。つまり、心の解放をあらわしてるんだと思うんだけど・・・。 ヘドウィグは自分のかつらを、ギタリストの夫、イツハクに手渡す。 イツハクはムサい男だけど(でも実は彼を演じているのは、女優さんだった!)、本当は、自分がドラッグクイーンになりたいという願望を胸に秘めていた。 イツハクはヘドウィグのかつらを被り、観客に運ばれるように去っていく。 そしてまた画面は変わって、静寂の世界。 生まれたままの姿のヘドウィグが、ひとり、歩いていって、だんだん小さくなっていく。 太ももには、あの「二人で一つ」マークが描かれている。 マークの二人は、ぴったりくっついている。 これで、終わり。エンディングロールへ。 すごく意味深なんだよ。 トミーもイツハクも、救われたんだと思う。 ヘドウィグに背を押される形で。 でも、トミーがヘドウィグを解放した、という側面もあり。 じゃあ最後、ヘドウィグは救われたのか? というと、100%そうじゃないような気がするんだ。 裸のヘドウィグは、真っ暗闇の中を歩いて行ってしまったんだもの。 もう決して若くはないヘドウィグ、これまでの道のりは昇華された。 もう身に着けるものなんかいらない。 でも、トミーもイツハクも結局、彼の片割れじゃなかった。 体のしるしも、消えはしない。 ヘドウィグはまた、片割れを探して生きていくんだろうか? 体で愛し合う片割れなんてこれからも見つからないけど、 心の中に片割れはいるよ、(マークの二人がピッタリ接着だったから。) だから大丈夫だよもう、ってことなんだろうか? ヘドウィグは性別なんて超越した存在。でも、永遠に狭間の存在。 いちばん最初の歌の詞に出てきたように、 ヘドウィグは「壁であり、橋」なんだろうな。きっと。 うん。素晴らしいラストだった。余韻が残る。 最初、「二泊三日にしとったら安かったのに、失敗したかいな・・・」 と思ったけど、一週間レンタルにして大正解! また見るもんね。 歌のとこだけでも、必ず。 |
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