正月、箱根駅伝を見ていて思った。日本人はなぜこんなに駅伝が好きなのだろう。 形としては、日本の正月の風物詩・双六に似ている。中継点という名のマスを経由しながら上がりを目指す。だがその単純な趣向だけでは、人々をここまで魅了し得ない。 日本人は「和をもって尊しとなす」民族といわれる。皆で力を合わせて事を成し遂げる駅伝の趣向は、そうした日本人の精神文化に合致する。野球でも送りバントのような自己犠牲の精神が尊ばれる。そうした精神文化の醸成された背景を考えると、農耕民族が長年培ってきた「ムラ社会」に行き着く。ムラ社会には、日本人が古来美徳としてきた濃密な心の交流があった。祭りともなれば集落毎に神輿を仕立て、その優劣を競うといった、いい意味でムラの威信をかけた競争もあった。高度成長からこっち、どこかに置き忘れてきてしまったように思えるそうした古き良き日本の姿が、いまだ一本のタスキという形に昇華され息づいている…それが駅伝なのではないか。だからこそ人々の琴線を揺さぶり、胸を熱くさせるのではないか。 そう。駅伝はいわば、農耕民族・日本人の心を運ぶ壮大なバーチャル双六の祭典なのである。
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