快賊日記「funnyface」

2006年02月15日(水) no。

人間が持っている暴力性というものは
どうやったら抑制する事が出来るのだろう。
人間には誰にも理性があって、それがいけない
事だと理解する能力は絶対にあるはず。
それでも残虐な事件は後を絶たない。
例えば人間の人間としての生まれながらの優しさ同様に
残虐性・暴力性を持っていたとしても、
それを抑える事が出来るから人間であり知的生命体で
あるのだと思う。それが欠落して生まれてしまう
人もいるだろう。では、そうではなく善悪の判断が出来る
のに、それを止めようとしない人間とは何なんだろう。
ましてやそれを自分より小さい動物にぶつける人の
思考回路はどうなっているんだろう。
理解したいとも思わないと思っていたけれど、
今は理解してその上でそれがどれだけ醜い事かを
それこそ酷い言葉で罵って後悔させてやりたくなる。
私はかねがね思ってました。動物虐待するような奴は
自分がした虐待とピッタリ同じ事をされればいいと。
罪と罰は存在する。そして必ず罪には罰が下されるはず。
ならばそういう人間達にする罰は、己のはいた唾を
己の顔で受けるような罰にすればいい。
そうして知ればいい。口の利けないものの痛みを。
どんなに苛めがはびこっても、それでも人間は口を利ける。
どんなに痛くても苦しくても動物は決して口が利けないんだ。
小さい動物はそこから逃げる事も出来ないんだ。
それを分かっていてする人間はどうにでもなってしまえ。
私のこの手を使ってでも罰してやりたいと思ってしまう。
そして私のこの行き過ぎた思考もやっぱり暴力的だ。
自分を嫌悪したくなる程暴力的な考えだ。
また一つ人間の罪を知り、見ても無い映像を浮かべ
ただただ懺悔をしたくなる。痛い心はきっと私への罰なんだ。
どうか優しくなるように。世界中の人間が優しくなれるように。
どうか優しい子供を育てるように。その手は傷つけるために
あるのではなく、撫でる為にあるのだと教えてあげれるように。
大人はきっと傷ついてばかりではいけないのだろう。


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