2001年10月23日(火) |
海、その勇者の大地にて |
「三十日雨風ふかず、海賊は夜あるきせざなりと聞きて、 夜中ばかりに船を出して阿波のみとを渡る。夜中なれば西ひんがし も見えず、男女辛く神仏を祈りてこのみとを渡りぬ」これは 海賊に対して悪魔のように恐ろしいイメージを持っていた紀貴之 の「土佐物語」の一遍。そう、海賊は皆同じ。たとえ海が違っても… 絶対的な武力を誇りとし、人知れず闇夜に紛れて彼等の船は 滑り出す…略奪するために…。 しかし、日本の水軍に関しては少し違うらしい。 もちろん時代を遡れば、それが彼等の生き方であった時もある。 でも私達現代人が認識している水軍と呼ばれる彼等は、西洋の海賊よりも より、軍事的というか、国や政治や戦に大きく携わっていたらしい。 室町時代…相次ぐ戦乱の中で大きく活躍したのが、彼等…水軍。 有名な村上水軍もこの時代から。彼等は西洋のプライベーティアとも違う。 金で買われてどっちにつくとかじゃない。そう、日本の水軍のおもしろい所は あくまでも海賊行為を続け好き勝手に生きていた輩ではない所。 そうだった時代を超えた後の、ある種日本史として語れる程の役割を 担っている所。紀貴之の詩なんてバカみたい見えて来る。 水軍と西洋海賊の決定的な違い。それは彼等には戦う意味があり、国がある事。 西洋の海賊は国を捨てた集団。ただ己のためだけに生き、散って行く。 陸の掟も自国の法律も一切受け付けない、いわゆる治外法権の中だけで 好き勝手にしてた悪党共。水軍にはそれが、ない。 というか、元々が勢力争いが海にまで広がった事が始まりだから当然と 言えば当然。だから彼等は自分の大名のため働く。あらゆる合戦に現れる。 もちろんその中で彼等は好き勝手やる事もしばし…やっぱ海賊だし。 とは言え、戦乱の日本の海を所狭しと戦う彼等の活躍には、目を見張る ものがある。そして彼等と共に日本の歴史も動いて行く。 さらに時代が違えば彼等の役割も変わって来る訳で…。 今は小さい日本で戦ってるけど、いずれは広い海に出て別天地を目指すかも。 そして鎖国の日本のため、今度は外敵から国を守ったり…。 そう、彼等は言うなれば海の戦士。そしていずれは海の番人に。 だからこそ彼等は強くて格好いい。海という自由な世界に身を置きながら、 そこにとどまり武を奮う。国を背負って戦い続ける…。 …夜明け前に人知れず、彼等の船は滑り出す…彼等の大地へ。 今、「FunnyFace」にて、彼等の歴史は始まった。
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