�蠧�記
DiaryINDEX|past|will
| 2002年06月02日(日) |
A Red,Red Rose by Robert Burns |
O, my luve's like a red, red rose, わが恋人は六月に
That's newly sprung in June: 咲いて間もない赤いばら
O, my luve's like a melodie わが恋人はいみじくも
That's sweetly play'd in tune. 奏でられたる調べかな
As fair art thou, my bonnie lass, 恋人よ 君美しければ
So deep in luve am I: わが恋はいよいよ深し
And I will luve thee still, my dear, 海のあせなん世となるも
Till a' the sees gang dry. わが愛は変わらじ
Till a' the seas gang dry, my dear, 海のあせなん世となるも
And the rocks melt wi' the sun: 陽に岩の溶くる世となるも
And I will luve thee still, my dear, 命の砂粒のある限り
While the sands o' life shall run. わが愛は変わらじ
And fair thee weel, my only luve! いざさらば 恋しき君よ
And I will come again, my luve, いざさらば 暫しの間
Tho' it were ten thousand mile. やがてまたわれは帰らん
いかにそれ万里の道も
ロバートバーンズは、18世紀後半の人で、スコットランドの貧しい農家の 生まれだそうです。love をluveと書いたりするのは、おそらく方言のような お国言葉の響きがあるのでしょうね。
私は小中学校で仰げば尊しとか蛍の光とかを卒業式などで歌わされたような 気がするのですが、例えば仰げば尊しには、最後に、いざさらば、という言葉が 出てきますが、これは、今普段には、なかなか使いませんね。ちょっと気取った 言い方です。言うかな?若い人が友達同士で、ちょっと気取ったりして使えます かね??
で、シェイクスピアの戯曲などに、 Fairwell! Fair thee well!というのが 見られますが、ごきげんよう、ともよ、いざさらば!などとあるのではないかと 思います。美しい別れを尊ぶ気持ちでしょうね。theeはyouよりも文語的で、汝 (なんじ)という感じですよね。
貧しかったけれども、その境遇には似合わず、父は教育には熱心で、小学校に 通わせたり、家庭教師を共同で傭ったり、夜自ら教えたりしたそうです。父は 真の基督者で、ロバートバーンズは父を深く尊敬していたそうです。母はスコット ランドの古い伝説や民謡を沢山知っていて、これを子供たちに歌ったり語ったり してくれたそうです。こうしてバーンズは父からは強い独立心や誠実を、母からは 優しい同情心とを受けて、人となり、それがそのまま彼の幾多の詩となって花を 咲かせたのだそうです。子供の時から農事を手伝い、日雇いへ行き、厳しい北国の 自然に鍛えられつつ、貧困に喘いだが、決して暗い性質にはならず、 honest povertyに卑屈になる理由がどこにあろうか、と歌い、極めて楽天的であった。彼の詩は、彼の身辺のささやかな出来事で一杯である。決して天下国家を論じたり、蒼白細身の哲学者気取りに気に入られるようなものは書かなかった。 鼠、馬、犬、兎、草花、飲んだくれ、農夫、酒、粉や、恋しい娘、などが詩の題材で、生活を歌ったのだそうです。借金取りに悩まされながら世を去ったのは、まだ 37歳を過ぎた頃だそうです。
うーん、若いなあ。。惜しいなあ。。
できればこんないいひとがいいとうちゃんになって欲しかった。。。 ということで、できたのが、うちのとうちゃんであります。
え?関係ない?
It is easy to smile at people outside your own home.
It is so easy to take care of the people that you don't know well.
It is difficult to be thoughtful and kind and to smile and be loving
to your own in the house day after day, especilly when we are tired
and in a bad temper or bad mood.
We all have these moments and that is the time that Christ comes to
us in a distressing disguise.
家庭のそとで人に微笑みかけるのは容易いことです。
よく知らない人の世話をすることはいとも簡単なことです。
来る日も来る日も家の中で自分自身や家族に思いやりを持ち、親切であり、優しく 微笑みかけ、愛情深くあることは、特に疲れていて気分の悪い時はことさらに、 難しいことです。
このようなことは誰にでもあり、その時こそ、苦悩の装いの内に救いが現れるのです。
本当に、もし私がもっと愛らしく、私や子供のために働いてくれるパパさんにもっと優しい理解のある笑顔をもっと沢山向けられたらいいのに。その時は少ないような気がするな。誰に対しても優しい笑顔を向けられる人になりたいな。それなのに、私は、こんなに私の事を思いやってくれる人にただ甘ったれてばかりいる。
お互い様だとは思うけれど。
こういうふうに言えるのは回復しているってことだと思うんだけど、それにしても あの落ち込みはなんとかならんかな。
不愉快なことがあったんですよね。あれはどう受け答えすれば良かったのかな。 あれで精一杯だったな。あの人が自分の旦那さんや息子じゃなくて幸いだったわ。
何故パパさんはきっぱりと煙草をやめることができたのだろう?
もしかして、私の意志の弱さに呆れたから?
どうしておとうちゃんは前向きなの?と聞いたら、おとうちゃんまで後ろ向きになってたらやっていけないからさ、と答えたことがある。
もし私が煙草を吸わない潔癖症で、煙草やめてよ、と喫煙を嫌がる妻だったら、パパさんは禁煙しなかったんじゃないかな?という考えは手前勝手だろうけどね。
歩き煙草はしたことないよ。うーん、確かにそうだが、これもなんだか、言い訳にもなっていないとは思うね。
でもやっぱり世界中から煙草が消えて、シャーロックホームズの手からもパイプが 消えてしまったら、つまらない世の中だと思うな。
こんな考えではやっぱりやめられないですよね。心肺機能弱っているとは思うのですが。
秋吉久美子さんが煙草をやめて、その替わりに運動をしているというお話がありました。さすが女優さんの美に対する執着は脱帽ものです。紫外線にもなるべく 当たらないようにしていると。で、やはり自分の美しさを人に見てもらわなくては意味が無いと考えているあたりは、プロの女優さんですね。たいした執念です。 意志が強いんですね。
誰だってそれなりにきれいだったらいいなあと思うだろうし、私もきれいになりたいなあ、スタイルもできればよくなりたいなあと思います。
でも、この、いいなあ、とか、なりたいなあ、とかの、なあ、ではなれませんよね。なるんだ。とか、私は私なんだ、とか思わないと。
パパさんは男性に違わずロマンチストですから、私がほがらかで会話が成立すれば、別に痩せなくてもいいよ、などと言ったりします。でもこの甘い言葉に甘えて いられるのかな。
心の風邪って難儀ですね。結婚して子供さんもある人ってどうしてらっしゃるのかな。やっぱりやりたいことを見つけてできるだけやってみると。
子供の頃から姪がいて既に若くしておばさんになってしまった私が、おねえさんに なりたいと願っても無理な相談かな。
パパさんはおねえさんが欲しかったんだと言っていたことがあったっけ。 希望を叶えてあげたいけど。こうなったら、演技か? 優しい姉さん女房役をつとめる?
駄目だよ。私には演技は無理。ありのままにしか生きられない。申し訳ないけど。
あー、息子の運動会が終った。良かった良かった。
やっぱり男の子ってお父さんじゃないと駄目だなー。会話の弾み方が違うなー。
ひゃーーー、幻覚キノコなんて売られていたのね。知らないことばかり。
|