衛澤のどーでもよさげ。
2009年12月22日(火) 白球を。

軟式のボールを、自宅向かいの小学校の壁にぶつけて「壁当て」をして遊んでいたのは、小学校に上がる前。幼稚園に通っていた頃から小学校三年生くらいまで、壁当てやキャッチボールを好んでやって、野球用のグローブやキャッチャーミットをほしがったり、連載中の漫画「ドカベン」を愛読し手持ちのジャージに手書きの「2」の背番号を縫いつけて貰ったりしていたのは、三〇年以上前のぼくだった。

当時のぼくはそれらしかったかどうかは別にして、周囲の人すべてが「女の子」として扱ってくれていて、しかし野球大好きの活発な女の子なんてその辺の石を三個くらい投げれば一個は当たる程度の確率で存在していて、めずらしくとも何ともなかった。
この頃早くも水島新治先生は「野球狂の詩」という、女性がプロ野球の投手を務める漫画を描いておられて、木之内みどり氏主演で映画化もされていて、その映画を何故かぼくも観ている。「ドカベン」の実写映画も劇場で観た憶えがあり、時期を同じくして「ドカベン」はテレビアニメーション化もされている。野球ブームだったのか、野球しか娯楽のない時代だったのか、その辺ははっきりと憶えていない。

そんな時代、小学校の壁で壁当てするぼくの前を、たびたび真っ白な野球のユニフォームを着た少年たちが自転車で通り過ぎて行った。小学校の校庭で練習をする少年野球チームの少年たちだ。当時のぼくはその彼等の姿を見送りながら、多少「うらやましい」と思っていた。そして「野球狂の詩」の主人公、水原勇気のように少年野球の監督に認められて特例として少年野球の一員となる自分を空想……もとい、妄想したりもしていた。小さな題材から大きく妄想する素養はこの頃からあったようで、これは後に大変役に立つのである。
ここで気を付けておかなければならないのは、ぼくは確かに野球少年たちをうらやましく思ってはいたが、「野球ができること」をうらやんでいた訳ではなかったということである。正直に言うと、この頃のぼくは野球が特に好きだった訳でなく、いまとなってはまったく好きではない(野球好きのみなさん、御気を悪くされませぬよう)。
おそらく当時のぼくは、「野球ができること」よりもその「道具」、ユニフォームやバットやグローブをうらやんでいたのだ。かたちから入る様式美の人だったのだ。もしくはコスプレイヤー気質だったか。そうでなければ自分で布にマジックで「2」と書いたものをジャージに縫いつけてくれと母親に頼んだりしなかっただろう(「2」は「ドカベン」主人公、山田太郎の背番号)。

そんなことがあったのが一九七〇年代半ばから終わりにかけて。その後暫く、ぼくは野球のことなどすっかり忘れる。それどころか、通っていた高校の野球部員にはぼくに対して大変失礼な者が多かったので、野球に対して八ツ当たり的にマイナスの感情を持つようになってしまった。そんな訳で母校野球部甲子園出場時も寄付など一銭もやらなかった。
それはともかく。
一九九〇年代半ば、ぼくは或る漫画と出会う。川原泉女史の「メイプル戦記」である。
これは一九九一年に、プロ野球の「不適格選手」について書かれた野球協約第八三条から二ツの条文が削除されたことを受けて描かれた作品で、その条文とは次の二ツである。
「医学上男子でない者」(つまり女子だな)
「不適当な身体または形態を持つ者」(意味不明)
(丸括弧の中のツッコミは作中で川原女史が付けているものをそのまま引用させて頂いた)
これにより、協約上は女子にも平等にプロ野球選手への道が開かれた―――そしてプロ野球セ・リーグ第七番めの球団が誕生、名を「スイート・メイプルス」、選手のすべてが(監督も)女子の球団である。さてさて、メイプルスが加わったその年のペナントレースは……というのが、大まかな「メイプル戦記」の御話なのだが、川原女史のことなのでそうそう素直なストーリイラインをつけることはない。
メイプルス入団テストを受けに来た中に、「自分は身体は男なんだけど心は女なんだ」という、甲子園出場まで果たした剛速球投手が混じっていて……更に不倫スキャンダルを重ねる強豪球団の花形選手の奥さんが夫に離婚届を叩きつけて入団、などなどスイート・メイプルスは比類なき個性派集団となり、一目置かれるようになり……とにかく、球団発足からペナントレース終了まで、いろんな問題を抱えながらメイプルスはがんばるんだ。そして―――御話の結びに、こう書いてあるんだ。
「よかったね よかったね 女の子でよかったね…」
これ以上書くことはできないが、川原泉女史の骨太少女漫画「メイプル戦記」は文句なしにおすすめだ! 哲学好きなら川原作品すべてがおすすめだ。読むがよろしい。

溜飲が下がるような爽快な物語「メイプル戦記」は野球協約が改正されてから五年後に完結(連載は改正翌年から)、長い時間が経ったが「メイプルス」はまだ御話の中のものだった。時代が二〇世紀から二一世紀に移っても、「メイプル戦記」はまだ夢物語だった。そのうち、ぼくやほかの人たちは「女性プロ野球選手」のことを忘れる。実現可能なものであることすら忘れて、夢を見なくなる。
S・キューブリック監督が映画に描いた遙か未来がついそこまで近付いてきた或る日、ぼくはテレビドラマの中に、自分が幼かった頃には決して見られなかったものを見た。子供が複数人登場するのだが、その中の一人の女の子が、少年野球の一員でこれから練習に行くという様子で、それはドラマの中で特別なものでは決してなく、当たり前の日常の一トコマとして描かれていて、ぼくはやっと、時代は動いたんだと思った。
「野球は好きだけど女の子だからチームには入れないね」……こういうことが当たり前に言われていた頃から三〇年。たった三〇年でこんなに変わるんだね、よかったね女の子たち。そんなことを思った数日後のことだった。

日本女子プロ野球機構発足。報を聞いたぼくの脳裏に「メイプル戦記」の冒頭のフレーズが浮かび上がる。
「よかったね おめでとう」
あの頃の夢物語は現実になりつつあるけれど、あの頃のぼくはもういない。ぼくではない沢山の誰かに、心から。
「よかったね、おめでとう」
ぼくが知らないだけで、国内各所には既にザワさんみたいな女子が沢山存在するんだろうね。
よかったね、よかったね、女の子でよかったね……。


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