過去に恋文らしきものを貰ったものの、受け取ったそれがあまりに文の作法からかけ離れすぎたものだったのでむかっ腹が立って、赤ペンで添削して送り返したことがある衛澤です。
「顔出し看板」というものがあります。
主に観光地に設置されている、歴史上の人物や人気キャラクタの姿が描かれて、その顔の部分だけがくり抜かれている看板です。くり抜かれた部分から人間が顔を出して、同行者がそのさまを写真に撮るという、おそらく日本発祥の特殊写真撮影スポットです。
日本では多くの観光地で見られますが、海外では顔を出す仕組みの看板はほとんど見られないそうです。
この「顔出し看板」、一説によると江戸時代後期から存在したものだとか。勿論、その頃の大衆の手には写真機などありませんから、連れ立って旅に出掛け、その土地で偉人などが描かれた看板から顔を出し、互いにその姿を見合って愉しんだ訳です。
描かれた像になりきることができる訳で、一種のコスチュームプレイとして愉しまれていたのではないか、とも言われています。
さて、「顔出し看板」はそう呼ばれる通り、だいたいは板に絵を描いて、或るいは写真を貼り付けたり印刷して、その絵なり写真なりにある人物の顔の部分をくり抜いて人間が顔を出せるようにしたものです。つまり、平面のものです。この類いのものはあまねくこのかたちなのだと私は思っていました。
しかし、「顔出し看板」の新しいかたち、「顔出し立体像」が存在したのです。昨日付の当記事に掲載したカンガルー像に続きまして、本日掲載致しますのは、同じ遊園地にありました亀の像です。
亀の甲羅が空洞になっていまして、そこに頭からすっぽりと胴まで入り込み、まさしく亀のように甲羅を背負います。人と像との一体感が愉しく、また他者から見た自分が想像しづらい分、写真に撮って貰ってそれを見る愉しみが倍加する「顔出し」モノです。愉しいヨ。
学生時代などは各種顔出し看板に遭遇しても何故か「ありふれたもの」「つまらないもの」として見向きもしなかった私ですが、三〇代になってからはこうしたものの趣きが愉しくなってきました。かぶりものはすべからくかぶるべし。顔出し看板からは悉く顔を出すべし。写真シール機より愉しいヨ。
私は今後も、顔出し看板から逃げません。