衛澤のどーでもよさげ。
2008年10月04日(土) 大きなもの。

「平成ガンダムなんかガンダムじゃない」などと放言してトキメキ新世代から集中砲火を浴びてしまうことを想像してどきどきしている衛澤です(「ガンダム」の部分を「ライダー」や「ウルトラマン」に換えても可)。

さて、昨日付の当記事で予告しました、とあるコンビニエンスストアで見つけたものの御話です。先ずは手っ取り早く写真をどん。



商品名は「うれしいプリン480」。480とはプリンの内容量です。単位はグラム。隣りに写っている煙草は標準的な大きさのものです。一般的なプリンの内容量が一〇〇グラム前後、これまで発売されたプリンで最も大きなHappyプッチンプリンでも四〇〇グラム止まりです。
誰がどんな理由でこんな大きなプリンを販売しようと考えたのか。偉いぞファ○リー○ート。

「大きなものへの憧れ」は、誰しも一度は抱いたことがあるでしょう。多くは幼い頃に。板チョコレート一枚を一人で全部食べたいとか、ケーキをワンホール一人で食べてしまいたいとか、それから、バケツみたいに大きなプリンを一人で食べてみたいとか。
その憧れの多くが叶えられないまま忘れ去られてしまう一方で、叶えられるものもあります。しかしそれ等は大抵、個人的の体験として密やかに片付けられてしまいます。おそらく、それが正しいのでしょう。

「大きなものへの憧れ」―――それは叶えられるまじきものではないかと判っていたはずなのに……写真を御覧頂いてお判りの通り、私は「うれしいプリン」を買ってしまったのです。

買ったからには食べます。私はプリンがとても好きです。

ぺりぺりっと包装を剥がすと直ぐに容器にぴったりと詰まったプリンが現れます。容器の入口から底まで全部がプリンです。カラメルソースは入っていません。スプーンで小さくすくって、一ト口食べますと、甘美な芳香と官能的な食感に身体が弛緩しそうになります。続けて一ト口。もう一ト口。
小さくすくっては、一ト口一ト口大切に食べます。プリンとはそのように食べるべき貴重な、そして儚くも甘美な菓子だと私は思っています。

甘く華やかで快い菓子、プリン。これを食べるよろこびがいつまでも続けばいい。確かにプリンを食べるたびに私はそう思います。
ところで、「うれしいプリン」の容器は縦長です。これをティースプーンやデザートスプーンで食べていると、半分を過ぎた辺りからすくいにくくなってきます。そして同じ頃、私の体内はプリンのみで満たされ、プリンをすくう一ト匙が次第に大きくなってきたことに私は気付きはじめます。

小さな一ト口を大事に大事に食べていたはずなのに、食べ進むにつれて一ト匙は次第に大きくなり、咀嚼もそこそこに嚥下、そして終には半固体の大きな固まりを液体のように食べてしまった自分を、私はとても厭だと思いました。大切な一ト口の集まりのはずなのに。最初の方に食べたのも後の方に食べたのも、等しくプリンであるはずなのに。
憧れの「大きなもの」に触れて得られるのは、幼い頃に想像していたようなまったきよろこびではないのです。私はこれを、過去の試みを通して既に知っていたはずなのです。それなのに。

幼かった頃に思っていた厭な大人に、私は次第になりつつあるように思います。


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