衛澤のどーでもよさげ。
2006年11月21日(火) 赤い赤い柿の実赤い。

競泳のイアン・ソープ選手が引退を表明したことで、とても残念に思うと同時にこれから何がはじまるだろうとわくわくしている衛澤です。取り敢えず次の世界水泳は見る理由がなくなりました。

ぼくの自宅近所には自動車進入禁止の遊歩道があり、そこはトレーニングジムに通うときに必ず通る道でもあります。ところどころに休憩所があって、そこのベンチではよくネコたちが集会を開いていて、だから休憩所周辺は自転車で通る度に気を付けて見るようにしていましたが、そのほかは特に注意して見ることがありません。風景よりも行き違う人や自転車に気を付けないと事故を起こしてしまうので。
余談になりますが、ぼくは誰か知った人と街で出会っても大抵素通りしてしまいます。歩いているときはぶつからないように気を付けるのが精一杯で、人の顔を見る余裕がないからです。知った人も知らない人も障碍物としてしか認識できないのです。だから擦れ違ったときに知らん振りしていても「冷たい奴」とか「無愛想な奴」とか思わないでくださいね。

そんな感じで、屋外を移動するときに風景をあまり見ていないぼくですが、今日はたまたま、遊歩道傍の或る民家に目が行きました。とても鮮やかな色が見えたからです。
その御宅には塀を越えて道路に張り出すほどの立派な柿の木があって、沢山の実がなっていました。その柿の実のとても熟して赤いこと赤いこと。それは最早や柿の赤い色ではなく、まるでトマトが木になっているような見事な赤さでした。それが、数えられるほどではなく、沢山沢山、鈴なりになっているのです。

あまりに鮮やかに赤い柿が、見事に沢山なっているので、携帯電話のカメラ機能で撮影しようかと乗っていた自転車を一旦停めました。けれども、この鮮やかさは手持ちのカメラの機能と自分の撮影技術ではきっと画像の上に再現されないだろうと思って、撮らずに通り過ぎました。
それでも、その柿の赤さの鮮やかなことが忘れられずにいるので、ここにこうして書きとめています。
柿右衛門が白磁の上に再現しようとしたのは、普段のぼくたちが思っている「柿色」だったのか、それともぼくが今日見たまるでトマトのような熟した赤色だったのでしょうか。色彩心理学では、赤い色は生命力に影響したり、生命力そのものを表現する色ということになっています。

今日の表題は「うさぎの唄」から。


【今日の着便】
ネット古書店でハインラインを五冊購入。書籍本体よりも送料の方が高い。


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