衛澤のどーでもよさげ。
2006年05月30日(火) 歌は流れるあなたの胸に。

ぼくが義務教育を受けていた頃はまだダイヤル式の電話が残っていた。小学校に通っていた前半の頃はどの家にもまだ黒いダイヤル式電話しかなかったし、その電話機だって置いていない家もまだあった。そういう御宅は学級連絡網などには(呼出)と書いてあった。大家さんだとか、御近所さんの電話番号を連絡先として公表していた訳だ。
用事があるときは大家さんだか御近所さんだかに電話を掛けて、「○○さんを御願いします」と言って呼んできて貰うという仕組み。たかだか二〇年ほど前のことで、当時はめずらしいことでもなかったのだけど、その頃を知らない人たちにとっては奇態なことなのだろうと思う。いまや「一家に一台」どころか「一人に一台」の電話がある時代だものね。

その、黒いダイヤル式電話がさまざまなデザインのプッシュ式電話に切り替わろうという頃、ぼくが小学校の高学年から中学生だった頃は、いたずら電話がやたらと多かった。受話器を取ったらいきなりハアハア言っているようなのはぼくは遭遇したことはないが、無言電話は割りと沢山掛かってきた。受話器の前に呼び出しておいて何にも言わない、という何を目的にしているのか判らない電話だ。
ナンバーディスプレイやコールバックなんてものはあと一〇年くらい経たないと現れないこの頃は、不審な電話が掛かってきても誰がどこの電話から掛けているのか判りやしなかった。だから電話帳に掲載されている片っ端からいたずら電話をしていた輩もいただろうし、その中におもしろい反応をしめす御宅などがあればきっと格好の標的にされてしまったことだろう。

無言電話は、ぼくの生家にも一ト月に三、四本の割合で掛かってきた。その中にはダイヤル間違いで目的とは違う電話に繋がってしまったことに吃驚して何も言わずに切ってしまう無言電話もあったのだろうが、無言電話の大半はこちらが切るまで何も言わずに通話状態を続ける。
こういう電話はぼく以外の家族は直ぐに切ってしまったが、ぼくはとことん付き合った。先に切ってしまうのは、何だか負けた気がして気分がよくなかったからだ。いま思うと、どうしてそんなにまで何にでも勝敗を持ち出してくるのか甚だ疑問だが、当時のぼくはそういう妙なところで負けず嫌いだったようだ。

無言電話との付き合い方は幾通りかある。お互い無言のまま、というのが最も判りやすい方法だ。何が判りやすいかというと、電話を受けた側の対抗意識だ。「お前が無言ならこちらも無言で付き合うぞ」という意思表示が無言電話の主に伝わりやすい、のではないか、と思う。当時はぼくの家だけでなく各家庭にいたずら電話が沢山掛かってきていて、他所さまの御宅でも無言には無言で対抗していたようだ。
ぼくはそのほかに、「一方的に喋り続ける」ということをやった。喋った内容は憶えてはいないが、相手を厭がらせるか笑わせるか、どちらかをしようとしていたことは憶えている。つまり、相手に先に電話を切らせるか若しくは笑い声を上げさせることで「無言」ではなくしてしまうか、そういうことをしようとしたのだ。
「一方的に喋り続ける」はかなり有効で、「直ぐに切る」だと切った直後にまた掛かってきたりしたがそれもなかったし、「お互い無言」より早く決着が着いた。しかしこの方法は、結構疲れる。

そこでぼくは新たに手段を考えた。これは窮めて有効な手段で、たった一回しか使ったことがない。それは即ち、この手段を実行して以降は二度と無言電話が掛かってこなくなったということだ。だが、さほど難しい方法ではない。
中島みゆきさんの「うらみ・ます」を歌った。すすり泣くように。
お終いまで聞いて貰えなかった。無言電話が切れるまでの時間最短記録だったかもしれない。


【今日の基本】
スポーツドリンクは二倍希釈。


エンピツユニオン


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