衛澤のどーでもよさげ。
2006年05月18日(木) いろいろあって当たり前。

この話題に触れていないかを確かめにこの頁においでになった方もおられるかと思います。
性同一性障害を受け入れ 小2男児、女児として通学
この記事は主要四紙Web版でも正午前後にはトップ記事として配信されたり、近畿地方では夕方のテレビニュースで報じられたり、かなり大きく扱われていて、ぼくはニュースの内容よりも扱われ方の大きさにちょっと吃驚しました。

このニュースに関してWeb上で意見を述べている人は既に大勢いますが、まだまだ誤解している人や、間違った情報や僅かな智識で偏った見方をしている人も沢山いるようです。「性同一性障害」という日本語ができて、国内での公的な治療がはじまって、たかだか一〇年ですから、それは仕方がないことでしょうし、あんまりとんがって抗議するのも如何かな、とぼくは思っています。
当事者も非当事者も、よくよく知っている人もあんまり知らない人も、それぞれの意見を言えばいいのだと思います。その意見が間違っていたり好ましくないものだったりしても、それをまったく否定してしまうようなことはしたくないな、とぼく個人は思っています。肯定の意見があって、否定の意見があって、中庸の意見があって、それぞれを聞いて頷く人がいて首を傾げる人がいて、そういう状態が正常な世の中なのではないかな、と。

そう考える一方で、多くの意見の中にまだまだ「性同一性障害者は性別を〈択んで〉いる」というものがあることは、やっぱり哀しいなあと思っています。
性別を択ぶことができるのなら、性同一性障害は「障碍(障害)」ではなかったでしょう。

何となーく厭だなあと思ったのは、夕方ワイドショー内のニュース枠でこれが報道されたときに、いつもはその枠で読まれたニュースに何らかのコメントを付け加える司会者やほかの出演者が、この話題はなるだけいじらないように気を付けていたのがありありと判ってしまったことです。


【今日のよい】
TARO MONEY、いいね! 手のひらに載せるだけで愉しくなる。


エンピツユニオン


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