定期通院日。いつものように心療科受診の待ち時間を利用して別の病院でホルモン剤を筋肉注射して貰って、心療科では検査のための採血をして貰いました。注射は左腕に。採血は右腕で。
筋肉注射の位置は看護師の教科書によると「肩峰より三横指下」。腕と言うよりは肩に注射をする訳です。ぼくが御世話になっている病院の看護師女史は冬の間中、注射直前に「冷たい手でさわるけど、御免ね」と仰いました。手が冷たいことを謝ってくれるなんて、ぼくはこの看護師女史しか知りません。
採血のときは「血管が見つけづらいそうです」と看護師女史に伝えることにしています。或る病院で採血して貰ったときに「あなたは血管が斜めに走っているから、採血の際には看護師に予めそう言うように」と言われたのでそうするようにしています。血管が見つからないというのは看護師にとってかなり煩わしいことなのだと「
おたんこナース」で読んで判って以来、それは確かに必要なことなのだと強烈に感じたので。
久々の駆血帯が何となくうれしかったり。病院の検査大好きなので。
さて、このところ心身ともに調子がよろしいので心療科の医師にもそのように話して、あとの診察時間はほとんど雑談でした。かかりつけ医先生は読書家でとても沢山の本を読んでらっしゃって、ぼくとも話が合います。今日の話題は「
白夜行」と「
ゲド戦記」。
「白夜行」については、ぼくはまたしてもドラマの初回と最終回だけを見るという失礼をやらかして、ドラマの最終話にがっかりしたことを誰かに言いたくてたまらなかったので、ここで聞いて貰いました。「雪穂は絶対泣いてはいけませんでしたよね」と。それに、「罪を犯して償わなければ悲惨な末路が待っている」という落ちの付け方は、ぼくは好きではないのです。原作が言いたかったのもそういうことではないと思うし。でも、そうしなければならないテレビ放送という媒体や放送期間の制約があって仕方がないのかな、なんて話をしました。
「ゲド戦記」を再読しているが、中学生だった頃に感じたおもしろさをいま感じられないのはどうしてか考えている、という話をすると、かかりつけ医先生はおもしろいことを教えてくださいました。臨床心理学者の
河合隼雄先生が仰ることに、「ゲド戦記」は読む人の年令層によって「おもしろい巻」が変わるのだ、ということです。
「ゲド戦記」は全五巻。主人公ゲドが生意気で功名心が強い少年だった頃から偉大な魔法使いになり、やがて平凡な老人として余生を送ることになるまでを描いています。読む人が少年期にある場合は第一巻「影との戦い」をおもしろがるし、青年期で「成人となるためのイニシエーション」の辺りで爪突いている人は第二巻「こわれた腕環」をおもしろいと言う、というように、読み手の年令が高くなるに連れ支持される巻数は後になっていくのだとか。それはつまり、読み手が主人公ゲドの心情を汲み取れるようになる過程を示しているということでもあるのでしょうか。
そういう視点も含めて再読すると別のおもしろみも出てくるかな、と萎えかけていた再読の意志が再び強くなりました。
おもしろいですねえ。これだから物語を読むということはやめられません。
【今日の太陽にほえる世代】
路上駐車の車内であんぱんを喰う背広の人を見ると無条件に「張り込みか!」と思う。