衛澤のどーでもよさげ。
2006年03月01日(水) 中と外。

「一丁、いい財布でも誂えてみようか」とぼくはときどき考えるのだけど、その計画はいつも頓挫する。何故なら、「財布の値段よりも小さい金額を入れて持ち歩くのは何だか馬鹿馬鹿しくないか」ということを考えてしまうからだ。

「見ためが最重要」と言って憚らない人がときどきぼくの前に現れて、ぼくはその度にそれを厭だと思った。「ものごとと見ためは無関係だ」とまでは言わないけれど、もっと整えなくてはならないところはほかにあるだろう、と思うのだ。
でも、近頃その考え方も少し変わってきた。見ためは大事だ。
たとえば、現在のコンピュータゲーム。とても画面がきれいだ。「非常にリアルで緻密で美麗だ」。あのような画面を見せられてはゲームを遊ぶ気が失せる。乏しい情報をもとに物語を通して想像する愉しみを、遊ぶという行為から、ぼくから奪わないでほしい。
画面が、絵がきれいなゲームは、どれほどおもしろいのだということを教えて貰っても、遊ぼうという気にすらならない。よくできたゲームも「絵がきれいだ」というだけでさわってすら貰えないのだ。見ためは大事だ。

話し言葉がとても稚拙で、何を言おうとしているのかすら量れない人がいたとして、その人が語彙に乏しいとはあながち言えない。もしかしたらその人の書き言葉は神業でしかないかもしれないのだ。
話し言葉と書き言葉とは同じ日本語でも違う。大柄な人が大胆とは限らない。大柄な人の腕力が強いとは限らない。頭がでっかい人の智識量は標準的な大きさの頭の人よりも豊富か?


【今日の男の子だから】
ちょっと複雑なおもしろい構造のものを見ると分解したくなるのさ。「THE有頂天ホテル」のDVDを入手したら、ストップウォッチとA4用紙一ト束とカラーマーカーを一緒に買って、きっと何日も部屋にこもるだろう。


エンピツユニオン


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