不安 2002年02月17日(日)
夜中に来た電話は夢ではなかった。 明け方、アリッサの無事が確認された。 たまたま学校のオフィスで働いていて子供のもアリッサの1つ上の学年に入れているミッチェルさんの旦那さんが元コブカウンティ(姉の住んでいた地域の名前)のポリスだったので、施設にあずけられそうなのを引き取って下さっていた。 前に日本に帰ってきたとき、姉は母に「私に何かあったらアンソニーがいてもアリッサを日本に連れて帰ってね。遺言にも書くつもりだから」と言っていた。とにかくすぐにアリッサのところへ行かなくちゃ。
朝10時半、渡米準備に両親が外出してる間に開店と同時にHISへ電話。 なんとか当日の航空券を確保したものの、3時までに成田へつかねばならない。 帰国予定が立たないのでオープンチケットにすると10万以上だった。 手元にお金が無く、親と連絡とっている時間も無い。わずかに残っていたお金と弟からかりた。手当たり次第黒い服集めてトランクにつめ、前の旅行の残りの200ドルぽっちを財布に入れてまず、町田のHISに11時半着。ここでやっと両親と連絡が取れ、今から出発することを告げた。支払いを済ませて新宿のHISで発券してもらう。トランク持ったままだと思うように歩けず、HIS本社までも道がすごく長く感じる。残り5分というところで駅に引き返すことが出来、ぎりぎりエクスプレスに飛び乗った。成田着2時55分。間に合った!
アトランタへはこれが3度目。 去年も「おいでよ」と誘われていたのに、「もう飽きた」と行かなかった私。 電話は時差の関係上(14時間)かけてなかった。最後にメールを送ったのはいつだったっけ? 確かバリから帰ってきてから「会社やめてワーホリでも行きたい」とか「そっちにホームステイでもして英語勉強したい」みたいなこと書いたと思う。それに対するレスはなく「ふざけるな、この不況に何甘いこと言ってるんだ」と母に電話で言ってたって。
デルタはテロの影響で日本とのアクセスをアトランタに絞ったため、大混雑。 それでも一番前の席だったからまだ足が伸ばせた分救われた。シートに座ってやっと落ち着いた。時間との戦いで悲しむ暇も無かった。それにしても信じられない。どうして?なんで?考えても誰もわからない。いつ母と兄はパスポート&ビザ(母は韓国籍)がもらえるんだろうか?(父と弟は日銭稼ぎなので働いてもらうことにした)200ドルしか持っていないからすぐに来てくれないと困ったことになる。とりあえず、上司の携帯には連絡したけどいつになったら帰れるのだろう?無事に迎えに来てくれる人と会えるだろうか・・・?不安なフライトだった。
13時間後、アトランタ着。 前回はここに姉夫婦とアリッサが迎えに来てたのに・・・そこには誰もいない。 ステーションを移動して荷物を受け取りゲートへ向かった。 アリッサがいた。となりにたってる子供にも見覚えがある。ということはこの人がミッチェルさん。よかった。1つ心配事はクリアした。アリッサははまだなにも知らない。これからどうなるのだろう・・・?泣きたくなってきた。
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