徒然なる日々

2005年01月15日(土) 『母』

これから書く事は本来、この様な場で書くことではないことかもしれません。

ですが、今回あえて書きます。

それは、忘れないためです。

この2日間のこと、叔母さんのことを忘れない為です。

なので、完全に自分だけの為に書きます。

暗い気になりたくない方は見ないで下さい。


















今日は私の叔母のお通夜に行ってきました。

私の母の義妹にあたる方で、叔父と叔母は仕事の関係でオレゴンに住んでいました。

昨年末、叔母が乳がんでもう永くないことを母から聞きました。

母はその後祖母と一緒にオレゴンに叔父たちの手伝いに向かいました。

叔母は治療しても無駄な状況まできていて、年末から退院して自宅に帰ってきていたそうです。

そして、年を越してすぐ、1月3日に叔母は亡くなりました。享年45歳。

後で聞いた話ですが、その日は叔母の誕生日だったそうです。

また、もう10年以上前の話ですが、私の従兄弟の亡くなったのも日本時間に置き換えると同じ1月3日でした。

何か不思議な繋がりがあるのかと、式後母たちと話しました。


お通夜、告別式は五反田にある桐ヶ谷斎場で行われました。

午後4時式場入り。

すぐに叔母さんの顔を見にいきました。

死後2週間経ってエンバーミングを施された叔母さんの顔は遺影とは違う顔になっていました。

母の話だと髪も全て抜けてしまっていたので鬘を被せたのだという。


今回私は、喪主である叔父さんに頼まれて式の記録写真を撮る事になっていた。

正直撮りたくなかった。


式が始まる前に控え室に続々と親族の方々が見えた。

母の妹夫婦も見えた。

私にとっては叔母さん夫婦にあたる。

母は3人兄妹の長女にあたる。

叔母さんは式場に入るなり母や叔父さんと抱き合い泣き出した。

そこで私は今まで見た事のない母をみた。

必死で涙を堪えて叔母さんを励ます母の姿だ。


式が始まった。

僕は最初の合掌だけすますと、写真を撮り始めた。

それは想像以上に辛かった。

身内の式ということが一番辛かった。

感情がどうしても入ってしまい、ファインダー越しに見える身内の方々の泣いている姿が今でも頭から離れない。

シャッターを押す手もずっと震えていた。


式の中盤にお焼香をあげた。

私の願いはただひとつだった。

「安らかに眠ってください。」

ただそれだけだった。

今まで癌や抗がん剤でたくさん苦しんで来た叔母さんには、今は苦しみのない世界でゆっくり休んでもらいたいと切に願う。


式が終わりホテルに着くと、父、母、私、弟2人で少し話した。

叔父さんのこと。叔母さんのこと。


自分の部屋に帰っても、すぐに起きてしまいその後ずっと眠れなかった。


明日はとうとうお別れだ。





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