すずキみるくのGooden 妄言
旧牛乳式形而上精神論理構造研究所日報

2010年07月28日(水) 死刑娯楽論

なんか、死刑否定論者だった法務大臣が、ついに死刑を実行しちゃったり、鹿児島かどっかで、5歳の女の子がペルー人に殺された件で、頑張って死刑運動が無期懲役になっちゃったりと、微妙に死刑にスポットライトがあたったりあたってなかったりしますな。

おいらの場合は、まあ、無理やりにいえば死刑反対派になるかもしれないです。・・・いや、死刑という刑自体をどうこう言う気はないんですが、個人的には最近の死刑のあり方・・・というか報道の死刑への持って来方がちょっとあやしいと。

今回のペルー人の件も極刑をもとめていた被害者の女の子の父親の姿がなんども放映されました。そりゃ、娘を殺されれば犯人を死刑にしてほしいとおもいます。それは当り前です。だけど、その、あまりにもナマすぎる感情をそのまま放映するべきかどうかというと個人的にすごく気になります。

なんで、そんなもんを放映するのかというと、たぶん、ネタになるからでしょう。悲劇的な殺され方をした女の子、その父親。これだけの素材はワイドショーにとっては大変ありがたいものです。これで死刑というゴールに向けてがんばって社会をまきこんでキャンペーンすれば、ちょっとしたドキュメンタリ系バラエティーになりますね。

この手の報道は、当事者にとっては確かにおおごとですが、視聴者にとってはすでに「娯楽」になってます。被告人を処刑台へ娯楽として消費され、世論を生み出し、実際に被告人が死刑になる。ある意味、これ以上趣味のわるい娯楽はないだろうと。

当たり前ですが、死刑は人が死にます。だからこそ、死刑についてもっと深く考えなければいけないはずで。殺された娘の父親が「極刑を望みます(そりゃいうわな)」といえば、そうだそうだと同調して人を殺す風潮をつくりだす・・・少々危険だと思います。

無責任な「世論」の裏で実際死んでいく人間がいるということをかんがえなければいけないのではないかと。

アレな言い方ですが、こういう事件が起きても、やはり我々は「第三者」にすぎないわけで。だとすればできることは安易に同情することよりも、その情報をなるべくフラットな状況でうけとめてしょりしていくべきなのではないかと。変に同調して他人の命を左右する言動はつつしむべきなのではないかと。

そもそも、公開処刑ってのは、恐怖をあたえるのともう一個、後ろぐらい娯楽って側面もたしかにあったんだよな。それが日本にはいってくると、事件自体の残忍性と死刑がミステリードラマみたいな脚色されて娯楽になるってのもある意味、日本的だなあとおもったりおもわなかったり。


 <過去  index  >未来


みるく

My追加