すずキみるくのGooden 妄言
旧牛乳式形而上精神論理構造研究所日報

2007年08月20日(月) 夏の町

 いつぞや(二十三、四の頃であった)柳橋の裏路地の二階に真夏の日盛りを過ごした事があった。その時分知っていたこの家の女を誘って何処か涼しい処へ遊びに行くつもりで立ち寄ったのであるが、窓外の物干台へ照付ける日の光の眩さに辟易して、とにかく夕風の立つまでとそのまま引止められてしまったのだ。物干しには音羽屋格子や水玉や麻の葉つなぎなど、昔からなる流行の浴衣が新形と相交って幾枚となく川風に翻っている。其処から窓の方へ下る踏み板の上には花の萎れた朝顔や石菖やその他の植木鉢が、硝子の金魚鉢と共に置かれてある。八畳ほどの座敷はすっかり渋紙が敷いてあって、押入のない一方の壁には立派な箪笥が順序よく引手のカンをならべ、路地の方へ向いた表の窓際には四、五台の化粧鏡が据えられてあった。折々吹く風がバタリと窓の簾を動すと、その間から狭い路地を隔てて向側の家の同じような二階の連子窓が見える。
 鏡台の数だけ女も四、五人ほど、いずれも浴衣に細帯したままごろごろ寝転んでいた。暑い暑いといいながら二人三人と猫の子のようにくッつき合って、一人でおとなしくだまっているものに戯いかける。揚句の果に誰かが「髪へ触っちゃ厭だっていうのに。」と癇癪声を張り上げるが口喧嘩にならぬ先に窓下を通る蜜豆屋の呼び声に紛らされて、一人が立って慌ただしく呼止める、一人が柱にもたれて爪弾きの三味線に他の一人を呼びかけて、「おやどうするんだっけ。二から這入るんだッけね。」と訊く。
 坐るかと思うと寝転ぶ。寝転ぶかと思うと立つ。其処には舟底枕がひっくり返っている。其処には貸本の小説や稽古本が投出してある。寵愛の子猫が鈴を鳴しながら梯子段を上がって来るので、皆が落ちていた誰かの赤いしごきを振って戯らす。
 自分は唯黙って皆のなす様を見ていた。浴衣一枚の事で、いろいろの艶しい身の投げ態をした若い女たちの身体の線が如何にも柔く豊かに見えるのが、自分をして丁度、宮殿の敷瓦の上に集う土耳美人の群れを描いたオリヤンタリスト油絵に対するような、あるいはまた歌麿の浮世絵いから味うような甘い優しい情趣に酔わせるからであった。
 自分は左右の窓一面に輝くすさまじい日の光、物干し台に翻る浴衣の白さの間に、寝転んで下から見上げると、いかにも高くいかにも能く澄んだ真夏の真昼の青空の色をも、今だに忘れず記憶している・・・・・・。


のっけから引用失礼。永井荷風の「夏の町」という随筆からの引用である。日本の夏をほぼ完璧に活写した名文だと思う。油断するとついつい真夏の真昼の柳橋の置屋にトリップしてしまいそうになる。日差しが照りつける真夏日の屋外の明るさと、座敷の薄暗さとしめっぽさのコントラストがなんとも言えない現実感を感じさせる。

このなんともいえない湿気が日本の夏の特徴なのだろう。たとえどんな猛暑日でも草木はけっして干からびることなく、それどころかモンモンとした草いきれを放出してくる。どこまでも付きまとってくる湿り気と植物の生命力、それこそが日本の夏たらしめている。

個人的にこれを読んで思い出したのは夏合宿でいった海のことだ。日差しはとことん強くて、アスファルトは焼けるようになっている。そんななかでフラフラと海の方へ散歩しにいくのだ。所詮、千葉の海では潮風は干物のにおいにしか思えない。まあ、そんな干物くさい潮風だからこそ安心できるのかもしれないのだが。

んで、まあ、そんなときに泊まる民宿には大抵、畳が引いてある。じつはこの畳こそが日本の夏を夏たらしめているものではないかと思ったりもする。すこし潮風をすって微妙な潮っけをおびた畳の上で寝転がるのだ。

しかし、民宿なんてのも不思議なものである。よほどの海好き、スキー好き以外では民宿なんかにとまるのは学生時代のサークル活動のときぐらいしかないだろう。だいたい大学のサークル回りの業者さんに紹介されてホイホイと決めちまうんだが、それ以外のルートでどうやって泊まるのかよくわからない。つーか夏になったんで泊まりでどこかの海にいこうなんて考えるのはオタ系の独身男にはよくわからない世界である。

日差しと緑の濃さと虫の声の多さに一瞬のノスタルジーを感じることがある。なんでかと考えたが一番自由だったころの子供のころの夏休みに直結するからかもしれない。そんなどうでもいいことをいろいろととりとめもなく考えながら

皆様、残暑お見舞い申し上げます。



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