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5.Emotional Contrl 感情のコントロール
恐怖を利用することは最も強力な方法であり、カルト信者に絶大な影響を与え,そのグループから去ることをためらわせることができます。「BITE Mind Control Model」の部分の主な点を指摘する前に,私はスティーブン・ハッサンの書物「Combatting Cult Mind Control」からいくつかの引用を示し,カルトが生み出す恐怖が如何に深い心理的あるいは感情的問題を生み出すかを説明しようと思います。
「恐怖の構造とは、いくつかの構成要素をもち,互いに作用して悪循環をもたらす。これらの構成要素とは、厄介な考え、ネガティブな内的イメージ、怖いと思う心、コントロールできない状態、などである。
いくつかのカルトでは、信者はそのグループを去ることに対して恐怖を抱くように組織的に教育される。今日のカルトは効果的な方法を知っており,信者の心の奥底に生き生きしたネガティブなイメージを植え付けることができる。それによって信者は、自分がグループの外にいるときに何かを達成することや幸せになること、などを想像できなくなってしまう。
信者は多かれ少なかれ,もしそのグループを去ったら酷い病気になって死んだり交通事故にあったり、飛行機事故で死んだりとか、あるいは愛する人の死を引起こす、というようなことを信じるようにプログラムされてしまう。」 [Steve Hassan, Combatting Cult Mind Control, pg 45]
「様々なやり方で、カルトが生み出す恐怖は信者がそれと気づかないうちに、巧妙に作られて植え付けられていくのである。信者は思考を停止するようにうまく操作されているので、そのグループを去りたいという願望を自分が持っていることさえ気づかなくなってしまう。」 [Ibid, pg 46] 上記の引用は、まさに私自身が体験してきたことです。私が真光の中にいたときに出来たこと、あるいは私が期待に応えることができたのは、教団を去るという選択を私自身にさせない、ということだけでした。私は教団を去ったら一体何が起こるのかということに恐怖を感じていて、それを考えることすらできませんでした。そういう状態であるかぎり、私は信者でありつづけたのです。
私の夫や家族を含むすべての人に対して,私は自分が真光の中にいて如何に幸せであるか、真光が如何にすばらしいかなど、教団に対するよいイメージを広めるために言わなければならないことを言いつづけてきました。しかし、私の内面では、教団のすることや言うことの多くが私にとって心地よいものではないことに気づいていました。私は自分自身が正直でないことや模範的でないと感じていました。私は教えが矛盾に満ちており脅迫に近いことを見出していました。私はその中に捕らえられてしまっていたのです。
1. Manipulate and narrow the range of a person's feelings. 感情の範囲を狭め,操作する。
「いつもニコニコ陽光子」は、真光の道場におけるスローガンです。陽光子とは、「明るく積極的な人」を意味します。信者は陽光子とも呼ばれ,すべてのことに対して感謝を表し、決して怒ったり妬んだり批判したり、機嫌をそこねたりしないようにすべきとされます。
「起きてよし 寝てよし居てよし全てよし ああ有難し悪しきものなし」 「善し悪しと 思う心の浅きかな 浅き瀬にこそさざなみの立つ」 「病(やまい)悪し 不幸悪ろしと思いなば 神大愛の禊ぎ忘れし」 [祈言集 善し悪し P.117]
「神様は、今日の世界中の人々が、純粋で、陽の気で、正しく、神に従って生きることを望んでおられます。スの神様に対して純粋で陽の気で正しく従順であることは、人格を完成する上で大きな助けとなるでしょう。より純粋で、ほがらかで正しく、従順であれば、より愛と調和に満ちた社会がもたらされるのです。」
「スの神様に対して純粋で、陽の気で、正しく、従順な想念で祈れば、本当の正しい神様がその祈りに応えてくれます。陰気で正しくない想念で祈れば,代わりに邪神が答えるでしょう。邪神に操られた人々は、間違った選択をすることになります。」 [MAAJ Vol 15 No 4 April 1997]
2. Make the person feel like if there are ever any problems it is always their fault, never the leader's or the group's. 問題が起こったとき、それは組織や指導者のせいではなく、常に自分のせいだと信者に感じさせる。
この点はまさに真光にぴったり当てはまる点です。もし信者の生活において何かがうまくいけば、それはすぐに神様の仕組みや神の光,教えを実践したからだとか、そういうもののおかげとされます。しかしながら、もし信者がトラブルにあったり、困難な状況に陥ったり、教えを疑ったり、身体の調子が悪くなったりすると、それは信者自身の負のカルマや蓄積してきた濁毒(だくどく)や罪や穢れ、悪想念や霊の障害のせいにされます。
3. Excessive use of guilt - Identity guilt 罪の意識の濫用−罪を自覚させる。
真光の中では,多種多様な罪の意識が信者に影響を与え,信者を操作するために用いられています。
a. Who you are (not living up to your potential) あなたはだれなのか?(あなた自身の力で生きる存在ではないということ)
「長々と、病と貧と争いに 生くるは霊曇り(ひくもり)多しとは知れ」 「病貧争災 つき纏いなば汝(なれ)何処か 真如と逆法に生きし証(あかし)ぞ」 [祈言集 P.89 真光の業]
「全ての人類にとって、自分のためだけでなく他人の救いに対しても、神に感謝と真をささげることは、避けて通れない義務ではないでしょうか?」
「もしもこれを喜びとすることができないとしたら、たぶんあなたは神の教えを自分勝手な解釈で受け取っているか、あるいは研修受講後に神の教えをス直に実践していないということなのかもしれません。」 [Mahikari Primary Kenshu Reference Textbook, pg 81] 「御神徳(ごしんとく) 小さき中(うち)はまだ神に 真(まこと)不足の証(あかし)とこそ知れ」 [祈言集 P.114 選び子と組み手]
「神真光の 業(わざ)に世人を覚まさずば 神にはナマケの罪となるらん」 [祈言集 P.118 祈り]
b. Your family 家族について
真光の教えによれば、すべての物事はバランスの中に成り立っているといいます。例えば,ある男女が結婚できるのは、正と負のカルマの総量のバランスが男女間で取れている場合だけだといいます。このことから、もしパートナーが真光に反対したり、真光をけなしたり、神に使えることに興味がない(つまり霊層が低い)場合には,自分も同じレベルにあるにちがいないという結論を出してしまいます。そこで信者は、家族を救うのは自分の義務であり、もっと神や道場に奉仕することで家族を救おうとしてしまうのです。
いくつかの真光の教えでは、最低でも家族全員を信者に引き入れるべきであると説いています。しかし一方では、真光信者が家族の中に1人でもいればそれは充分な救いになると説いています。このような混乱した、矛盾に満ちた教えは、真光の教えの中ではしばしば見られます。
「此(こ)のミチに 逢わずとすれば一生の 家庭を救う術(すべ)は得られじ」 [祈言集 P.104 感謝報恩]
「曇り多き 魂霊(たまひ)の家は沈み行き 浄きぞ何(いず)れは上(かみ)に住むなる」 「濁りおば 遂々(ついつい)我が家に積み行きて 何時か贖わさるる人の愚かさ」 [祈言集 P.132 大炎開陽霊]
あなたの守護霊もあなたの家族(先祖)の1人であり、もしあなたが高い霊層にあれば、遠くの未来まで見通せる高いレベルの守護霊がついてあなたをより助けてくれるとされています。逆に、もしあなたが低い霊層に落ちれば、あなたよりはほんの少し霊層が高いだけの、低いレベルの守護霊しかつかないということです。
c. Your past あなたの過去
「初級研修の最初に私が教えたことは、次のようなことです。『真光の業に関して言えば,受光者の想念が70パーセントであり、施光者の想念は30パーセントです。』...これが何を意味するかというと、たとえ私が同じ力を受けて人々に同じように放射しても、結果は受ける人それぞれの想念で違ってしまうということです。神様は全ての人に同じ結果をお許しになったりはしません。」
「この理由は何かというと、人間は神の時代から存在する’因縁’を感じ取ることができないからです。もしそれが過去の罪だけだったら、それらは告白によって明らかにすることができます。しかしながら、霊的存在でいた間に霊界の法則を破ったことは、自分には決してわからないのです。言うまでもなく、自分がどんな罪や穢れを積んできたか、今日現れた正神の神様に反抗して自分のご先祖様がどんなことをしてきたか、そういうことは普通の人々にはわからないのです。」
「また、たとえそれが判ったとしても、どうすることもできないのです。...結局は、罪や穢れの問題は、神の火の聖霊による洗礼、すなわち真の光によってしか、取り除くことができないのです。」 [Teachings of Sukuinushisama, The True Nature of Miracles and how repentance of the Soul should be, given on 8 July 1989, MAAJ Vol 7 No 8 August 1989]
d. Your affiliations あなたの帰属
信者は、どのようなレベルの人であろうと全ての人々を救うようにと言われるが、より高いレベルの人と友人になるようにと奨励されている。
「利己愛と 我利(がり)につき合う友どちは 何れは汝が家離れ去り行く」 [祈言集 P.200 結婚を祝いて] e. Your thoughts, feelings, actions 思考、感情、行動
信者は事あるごとに繰り返し思い出します。憑依霊は自分の好きなように人間にものを見させ、考えさせ、行動させることができるということを。このことは、あなたがあなた自身の考えや感情、行動に自信を持つことを困難にし、常に自分の中で自分と憑依霊との戦いが起こっているのだと感じはじめます。そして、自分の考えに自信が持てなくなり,どちらが自分の考えでどちらが邪悪な霊のささやきなのかが判らなくなってしまいます。
神が常にあなたのすることすべてを見ているという考えは、ある種の抑制になります。私がグループリーダーのトレーニングに参加していたとき、私たちが死んで最初に起きることは、人生における全ての出来事、全ての行動、個人的なこと、正しい行い、卑しい言動などを映画のように見てしまうということでした。この教えは、グループリーダーたちの間で冗談のネタにされましたが、しかし私たちは不安を感じてもいました。個人的には、この教えは私を強い不安と心配に陥れました。
「神が存在するかどうかなどわからないと主張し、そして自分勝手に振舞う人々がいます。しかしながら、親神様は全ての物事、非常に細かい部分まですべてご覧になっておられるのです。」
「あなたが何を聞こうと、何をしようと、「親神様が常に見ている」ということを忘れさえしなければ、どんな困難や障害も乗り越えることができるのです。」
「天地の創造主である主の大御神様とともに生きることを許されている」という考え方を持つことは、極めて重要であります。」 [Teachings of Oshienushisama, The Sonen of Total Devotion to God, given on 8 July 1989, MAAJ Vol 7 No 8 August 1989]
「尊(とうと)かり 神の縁(ゆか)りの吾が魂(たま)を 知らず汚せし我を詫びつも」 [祈言集 P.161 吾が心]
「神となり 獣となるは自在なり 想う瞬間(たまゆら)自由恐ろし」 「幾度(いくたび)か 逢う神試し神振い 受けずばサトレぬ人の哀れさ」 [祈言集 P.165 吾が心]
f. Social & Historical guilt 社会的、歴史的罪
真光の教えによれば、人類は多くの罪と穢れを受け継いできています。主なものは、正神の神様たちを天の岩戸に押し込めたという古代における罪です。
「人類は共通の罪と穢れを持っています。神中心の世界を賞賛して作り上げることをせずに、かわりに神の法則に逆らった習慣や法律が蔓延している世界を作り上げてきたという重大な罪があります。これは神の計画の一部であったとは言っても、神にお詫びしなければならないのです。」
「もう一つ,人類共通の罪穢があります。それは、神が創りたもうたすべての生き物に対して、感謝を捧げるという心を忘れてしまったことです。」
「それ故、人々は自分たちの罪と穢れにできるだけ早く気づき、詫びなければならない全てのことに詫びる必要があります。お詫びをするということは、感謝をしてこなかったという借金を返すことを意味します。簡単に言うと,「申し訳ありませんでした。」と単に言うだけでは、それはお詫びをしたということにはならないのです。」 [Teachings of Sukuinushisama, "How going-towards-God based on the righteous path should be", MAAJ Vol 13 No 8, August 1995, pg 8]
「恐ろしも 主に逆気(榊)立て豆播きし 罪を詫びずば永遠に滅びん」 [祈言集 P.118 祈り] 4. Excessive use of fear 恐怖を多用する。
a. Fear of thinking independently 自分で考えることに対する恐怖
信者はしばしば、憑依霊というものは人間を操ってものを見させ,考えさせ、何でも言わせることができると教えられます。このように教えられると,多くの信者は自分自身の考えに対して疑いを持つようになります。これはそんなに驚くようなことではありません。
b. Fear of the "outside" world and enemies 「外」の世界と敵に対する恐怖
他の全ての宗教は、「真如」(真実の如きものだが真実ではないもの)であるとされます。真光の教えの中には、このような姿勢が繰り返し現れます。
真光の主な敵は、見えないもの、水の系統の神々とされています。それらは現在火の系統の神々に置き換わりつつあるとされています。また、真光の信者に対して復讐を試みたり、教団の正しい活動を邪魔しようとする霊たちがいるとされています。教団の活動を邪魔するものは何であっても、それは「霊障」であるとされます。地縛霊は事故を引起こし、憑依霊は人間のものの見え方、聞こえ方、発言を操るとされます。また、ある民族全体が他のグループを妨害しようとするといった、集団霊障なるものもあるとされています。例えば,北アイルランドの紛争が絶えないのはこの集団霊障のためだというような説明をされます。
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