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1975年06月24日(火) a

ムー大陸に関するチャーチワードの説明の中に、岡田氏が織り込んでいった考え方の多くは、茨城県にある竹内(たけのうち、たけうち)一族が保管していたと言われている「記録」あるいは「古文書」からとったものである(竹内文献)。岡田氏が得たこの種の情報は、「日本に隠されていた真の世界史(The Authentic History of the World Secreted Away in Japan)」と呼ばれる本の中で、山根キクが最初に言い出したものである。救い主が古代史の真の姿と考えたものが、まさにこの本の中にある。−私たちは知りました。イエスは日本で死んでいます。それと同様にして、その他のあらゆる聖者、聖人が日本を訪れました。−

この本は、文字が日本で発見されたという岡田氏の考えの源の一つにもなっている。加えて言うと、「神代文字(しんだいもじ)」は、徳川時代の排他的神道主義者たちの間で人気のあった偽物の文字だった。例えば、平田篤胤(あつたね)の「神字日文伝(じんじにちぶんでん)」、落合直澄(なおずみ)の「日本古代文字考(にほんこだいもんじこう)」などに神代文字のことが出ている。

しかしながら、伴信友(ばん のぶとも)(1775-1846)は、これらの文字の信憑性について異議をとなえた。そして20世紀になってようやく、ほとんどの言語学者が神代文字の信憑性を信じることをやめた。だが、第二次世界大戦に先立つ極めて国粋主義的な時代には、神代文字は再び人気を取り戻し、それは特に陸軍士官学校などの愛国的かつ軍国主義的な集団の中で顕著だった。岡田光玉氏はそこで教育を受けていたのである。その文字の真の重要性などは観念上のものにすぎない。現代の言語学者は次のように確信している。神代文字は、隣の中国の言語と文字に対する日本人の劣等感を払拭するため、またナショナリストが古代日本を理想化するため、そういう理由で作られたものにすぎない、と。同じようにして、神代文字は真光の教義の中に流れる排他主義を表す材料となっていった。

デイビス氏が言うには、岡田氏は文献からたくさんの情報を集めたが、それらのほとんどは批判的な調査に耐えられない。彼は自分の研究を真光の研修テキスト、歌集(祈言集)、御聖言にまとめた後、それらが神に起源をもつとして、日本の神の印を押したのである。(注:つまり、神から授かったものだとした。) より広い一般社会に対して私が心配していることは、アンドリス・テベシス氏が岡田氏とその娘の教えこそが神の真理でありそれを普及させるのだと宣言した、まさにそのことだけである。オーストラリア州政府によってそれが認められたと彼が主張することはそれほど心配することではなく、それはまた別の問題である。

オーストラリアで一つの宗教を立教しようとする人は誰でも、オーストラリア税務局による税に関する規則(TR92/17)を遵守しなければならない。

5.もし宗教的目的で団体が作られているのならば、それは宗教団体であり、周囲からもそのように認識されなければならない。
(a) その目的と活動は、その団体が設立された目的であるところのその宗教上の目的を推進するための特徴を、反映していなければならない。かつ、
(b) その団体の信者の信念と実践が、その宗教を構成していなければならない。
6.信念と実践が宗教を構成するかどうかを判断するための最も重要な二つの基準は、
(a) 超自然的な存在、物、原理を信じていること、かつ、(b) その信念を実行するにあたっての行為の規範を受け入れていること、しかし、その規範は通常の法律を犯すものでないこと。

真光はこの基準に当てはまる。オーストラリアの納税者はうっかり真光に財政的な援助をしてしまい、真光はそれによってオーストラリアの首都キャンベラに数百万ドルもの費用を費やした本部を建設する。そして将来には、数百万ドルをかけた学校や収容施設を建設するのにも協力してしまうだろう。そのお金は信者から集められても、信者にとっては寄付は税金の控除をうける。

私はここで一つの奇妙な矛盾に気が付いた。イギリスの歴史家デビッド・アービング氏はオーストラリアに入ることを禁止されている。彼のビザの発行は、彼のたちの悪い性質のために拒否されている。彼はユダヤ人に関する第二次世界大戦中の出来事に対して、過激な意見をもっている。

真光は未だに、学校を建設して世界の真の歴史を教えるという望みを持っている。もし彼らが救い主の教えに対して今もなお忠実であるならば、ユダヤ人の国の起源は日本であり、モーゼは日本の皇子であり、ヘブライ語は日本の天皇からの贈り物であり、ユダヤ人が歴史を通して迫害されるのは彼らのカルマのせいだ、ということになる。私はこれらの考え方はデビッド・アービング氏の考え方よりずっと危険だと思う。もう一つの心配なことは、アンドリス・テベシス氏の主張である:「何人かの真光信者の教育者は、オーストラリアやニュージーランドにあるたくさんの初等および高等教育の学校のカリキュラムの中に、高いレベルの価値を導入することができました。私が思うに、両国政府の教育省は、それがどのような高いレベルの価値なのかを尋ねるべきです。」

私は民主主義の権利としての言論の自由を持ち、またオーストラリアは世界で最も寛容な国であると信じているにも関わらず、自分がモラルのジレンマに陥っていることを感じる。ある宗教が我国の若者の考え方を真光のようなゆがんだ考え方に変えてしまうのを見ると、心が乱される。1982年に私が真光に入信したことについては、私は一人の大人として自分で決めたことに全責任をもつ。その反動で(?)、現在の私はひどく困惑している。しかしながら、私は真光というマシンの中に捕らえられてしまった子供たちはかつての私よりずっとずっと影響されやすいと感じている。

以前の私は確信していた。真光はすべてに対して答えを持ち、私は世界の終わりの淵に立っていると、そして私は手から霊的な力を放射する小イエスであると。ある意味で私は今、真光について書くことによって、自分の脳の一部を14年間も眠らせてしまった過ちについて述べようとしている。同時に、この教団に対する本当の知識から湧き出る声について述べようとしている。

真光に入った多くの若者は、28歳で真光に入った時の私が持っていたアドバンテージを持っていない。彼等は教えられた真光の教えを事実として吸収し、その「事実」を証明するための方法(手かざし?)が、もっともなこと、また信じるに足ることとして受け入れてしまう。真光青年隊は、真光の霊的指導者である岡田恵珠女史からの教えを絶対のものとして受け止め、彼女がそれを撤回しなければその他の情報は何も聞こうとも信じようともしない。大雑把に言って、もし真光に対して何か批判的なことが言われたら、それは唯一本当の宗教を破壊しようとする邪神、邪霊の働きと考えてしまう。

以下は、1985年6月6日、高山のス座における月始祭で、テープから流された真光の救い主の教えの一部を筆記したものである。

...アトランティス大陸とムー大陸はかつて、水爆をも用いた大規模で悲惨な戦争をしました。さらに、金星やその他の惑星の霊たちとこの世の肉身をもった人類との間の戦争が起こりました。こうして、その戦いに敗北した霊の系統の者たちは、霊的に非常に強い恨みを現在の人類に対して持つようになりました。本当のことを言えば、現在の人間に憑依している霊の多数は、そのような霊たちなのです。

神の力を以ってしても、憑依霊が人々の身体から長い間離れないこともあります。その理由を言いますと、ある程度までは、現実の人間の歴史の中で勝ったり負けたりしてきた霊の系統間の争いが、まさに今この現在まで続いているからなのです。
現在、強い憎しみと恨みを持った霊たちが、現在の人間が幸せな世界を建設するのを邪魔するために、一致団結しています。言い換えれば、そういう霊たちは組織的に行動を起こしているのです。

さらに、そのような霊たちは、また他の惑星からの霊たちまでもが、今日の人類の中に紛れ込み、人類の中に転生してきています。
例えば、ムー大陸によって破壊されたアトランティス文明の人々は、今日の人間に霊として憑依するだけでなく、実際に、この世界に人間として転生してきているのです。さらに加えて、憎しみを持った霊はそのような人間たちと一緒になって、憎しみに満ち溢れた恐ろしい世界を作り上げようとさえしているのです。これが、現在起こっていることなのです。

...私たちは新しい文明を作りあげるために立ち上がる必要があります。しかし、なにが起ころうともこれを達成するためには、まず始めに考え方を変え、基本に立ち返り、神の計画の下に一つになり、一体となるという考えに変わる必要があります。私はこれが、これからの陽光子(真光信者)の極めて重大な責務であると考えます。

(真光オーストラリアジャーナル, Vol.3 No.8 August 1985 p8-9の一部を、再度日本語に訳したものです。)

以上、真光の創設者からのこの教えは、ほんの概略でしかない。もし人々がこの教えを受け入れ、オーストラリア真光の代表であるアンドリス・テベシス氏が言う、「地球は元一つ、世界は元一つ、万教の基また元一つ」、を受け入れるならば、よい神のほうにつくことができるとされる。逆に真光に対して批判的ならば、アトランティスとムーの戦争で取り残された霊に、あるいは他の惑星のエイリアンに、憑依されていると見られてしまうのである。

私の次の記事では、真の光、霊の憑依、そして世界の問題に対する真光流の解決法、について議論する予定である。


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References;
参考文献
Dojo - Magic and Exorcism in Modern JapanWinston Davis 1992 edition ISBN 0-8047-1131-3
「道場−現代日本における魔術と悪魔払い」、ウインストン・デイビス
Wages of Guilt - Memories of War in Germany and JapanIan Buruma 1995 ISBN 0-09-947791-2
「罪の報い−ドイツと日本における戦争の記憶」、イアン・ブルマ
Spirit, Selves and Subjectivity in a Japanese New Religion: The Cultural Psychology of Belief in Shukyo Mahikari, Brian J. McVeigh 1997 ISBN 0-7734-8430-2
「日本の新宗教における霊、自我、そして主観性:○○真光における信念についての文化心理学」、ブライアン・J・マクベイ
Mahikari Advanced Kenshu Reference Textbooks.1984,1989,1990,Plus hand written notes of advanced Kenshu.
真光上級研修テキストブック、+上級研修ノート
Mahikari Secondary Kenshu Reference Textbooks.1983,1989,Plus hand written notes.
真光中級研修テキストブック + ノート
Mahikari Primary Kenshu Reference Textbooks.1979,1983,1989Plus hand written notes.
真光初級研修テキストブック + ノート
The Canberra Times - July 18th 1999, Friday March 7 1997
キャンベラタイムズ
The West Australian - Perth Saturday October 18 1997
ウエストオーストラリア
Mahikari Australia Journals and Japanese Mahikari Magazines from the 1970's to 1990's
真光オーストラリアジャーナル、日本の真光誌 1970−1990
The SPHINX Group -- Lemuria, A Scientific Frankenstein
スフィンクスグループ−レムリア、科学的フランケンシュタイン
http://oz.net/jz/sphinxcc.html
The Sunken Kingdom: The Atlantis Mystery Solved
沈んだ王国:解き明かされたアトランティスのミステリー
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Goseimon  http://www.meijijingu.or.jp/english/intro/education/index1.htm
御誓文
Taxation Ruling::TR 92/17 - Income tax and fringe benefits tax: exemptions for'religious institutions' http://www.ato.gov.au/atolaw/getResult?basic=tax%20ruling%20t.r.%2092/17&&docid=TXR/TR9217/NAT/ATO/00001


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