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----------資料----------
〜○○真光での研修会のテキストでの記述〜 −救い主様の御神命の概要− 救い主様の御神命については、御神示をいただかれた救い主様ご自身が驚かれたほどですから、いわば正当性を任じている、神道界の方々が驚嘆したのも、無理のないことでした。そして救い主様の「み魂」に疑いをもったのも当然のことと言えましょう。昭和35年6月から数回にわたって当時L.H陽光子乃友とは特別関係のなかった神道界の一部の方々により、「救い主様の『み魂』や『み役』」について神伺いしても良いかとの提議がなされ、救い主様は「いいですよ、どうぞ」と自信たっぷりに了承されたのです。そのみ魂調べに対しての御神示は、救い主様に直接、天降った御神示と、全く同じ意味を有するものでありました。そのため大変なみ役の方であったことに、神道界は非常な驚きを持ったのです。救い主様の御神示が、関係のない、しかも疑いを持った団体の御神示によって裏付けられたのは、宗教界でも希有のことです。そのため、これが第三者に対しての客観的な、好資料とさえなったのです。救い主様の御神命について、「天杖」の御神示の一部を基にして、概要だけを記させていただきます。 み魂伺いによってまずお示しされたのは、「崇盟五道」、「ヨスカ従道」の御神示です。さらに、これを説明する御神示が出されております。それによりますと「崇盟五道」とは五大宗教(仏・基・回・儒・道の各教)を総合帰一する、大本の教えをなすみ役であるということです。 (以下略) 〜S界真光文明教団の二代教え主関口S氏による 『日本よ、霊的先進国たれ』(現代書林)の中での記述〜 −天杖が示すメシアとしての使命− <魁のメシア>というような重大なお役を神様から頂くような方は、やはり誕生の時点から普通の人との違いを感じさせられますが、しかしそういう大きなみ魂というのは、とかく同じ分野の人たちから疑いの眼差しで見られ勝ちでもあります。(中略)神から与えられたお役目を<天杖>という方法で調べてくれる<Mの道>というところがあり、師はそこへ案内を受けてお出かけになりました。昭和35年6月のことでした。<天杖>というのは神前で横にした一本の棒の両端を二人の人がそれぞれ軽く支え、棒の中央に吊した筆が神霊によって操られて、自動的に文字が書き出される方法のことです。<審神者(さにわ)>といって、神様に対して来場者がどのようなお役目の方かを神伺いする人がいます。天杖の筆がひとりでに動き、下の紙に文字を書き出しますと、これを読みとりその意味を来場者に伝えてくれます。(中略)この<Mの道>の天杖のときは私も師のお供をして参加させていただきましたが、<Mの道>の方々は師が<ヨのみ役>と知って大いにおどろき、深い敬意を表されたのを覚えています。<Mの道>でずっと以前行われた天杖によって、いずれ<ヨのみ役>の方が現れると予告されており、ヨのみ役とは「世の立てかえ、立てなおす大いなる使命の方」と神から教えられていたのです。 (以下略) 〜昭和37年3月25日付「Mの道協会」発行の機関誌「聖和」第2面〜 大見出し 「Mの道指導神霊団に捧げる感謝の祈り 施真道場で行う」
本文 昭和二十三年”Mの道”−(前身千鳥会)−が創立されてから、十有余年に亘り、世の立て替え建て直しの大神業を実現するため、高き神々の御旨を享けられ、霊界より降神ユニハ(交霊会)、天杖(扶乱)、神筆(自動書記)、神言葉(霊言)等々の方法に依って”Mの道”を、断えず親切に導かれて来た大峰老仙様を始め指導神霊団の御神霊に対し感謝の真心を捧げる「感謝祭」が、藤沢市大鋸一0八Mの道施真道場に於いて執り行なはれた。又当日は”Mの道”が創立されてより指導神霊団から御神示をお受けする天津ヒモロギとして大きな霊能力を発現なし”Mの道”の基礎かためをして組手の向上を図られて来た教主荻原先生をお迎えし、指導霊団の諸神霊に対する感謝の祭典と共に、組手の有志が心から萩原先生に敬謝の意を表し、今後大神業のため益々精進努力される事を祈念且つ激励する日であった。当日の祭典は、ニ宮斎主 顕正導師の主催であり、主として二宮関係の組手有志が集り、ささやかな会合であったが、東京からわざわざ深川富岡八幡宮の宮司T先生、ヨ宮真光呂斎主 岡田光玉先生、タ宮斎主 U先生夫妻、鎌倉大和証券信託社長のS先生夫妻も見えられ参列者は二十数名であった。先づ二宮斎主から参列者一同に対して挨拶をかねて感謝祭を行なうまでの経過を述べてより式典に移り、左記の如き「祭文」を奏上し、厳粛に祭式が執り行なわれた当日の御祭りに対し大峰老仙様から「行真和基」の御啓示を賜った。(後略)
(注:3つ目の「Mの道」の資料に、「ヨ宮真光呂斎主、岡田光玉先生」という記述があります。この当時、岡田氏は「Mの道」に所属する傍ら、L・H陽光子乃友を主催していたと言われています。真光教団の資料によると、神伺いが初めて行われたのが昭和35年6月です。「Mの道」の資料に光玉氏がでてくるのが昭和37年3月です。(真光立教の神示は昭和34年2月。)
ちなみに「Mの道」では、信者一人一人に48音のうちの一つの音が「Mの道」の神示によって割り当てられ、その音で表される「働き」を持っているとされます。それは「霊系」と呼ばれ、特定の人だけが持っているというものではないそうです。岡田光玉氏の場合、それが「ヨ」だったようです。「真光呂」というグループ名も神示によって授けられたといいます。
○○真光の研修テキストでは、関係のない神道教団が神伺いを行ったとしています。関口氏の記述でも、岡田氏は関口氏に案内されて「Mの道」を初めて訪れ、そこで天杖神示をもらった、というような書き方をしています。「Mの道」と岡田光玉氏の関係について、それ以上のことは真光教団は何も教えていません。
「Mの道」においても、岡田光玉氏に関する確かな資料は上のもの以外にはないらしいです。つまり、真光教団の言うような経緯を記録した資料は存在しないようです。
また「Mの道」には、手を当てる「真手(まなて)」、呼吸や言霊による「真息吹(まいぶき)」、祈りによる「真光(まひかり)」、という癒しの方法があります。真光教団の教えとは、言葉の使い方に違いが見られます。) http://www.makoto.or.jp 真手(まなて)の項、参照
----------- 資料おわり------------------
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