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資料: S界救S教の文献; 岡田仲道(光玉)氏に関する記述が見られる。
(岡田茂吉全集著述篇第五巻付録8頁19行〜9頁7行)
私(※1)は天国会(※2)移籍後、西萩窪の支部で助手をしておりましたが、そこに名古屋の知多方面で布教をしていた岡田仲道氏(※3)が支部長として赴任してきました。四十八歳の岡田氏は一つの風格を持っており、その指導に多くの人が集まりましたが、岡田氏は霊的現象に段々と傾倒してゆきました。明主様(※4)は霊的現象の取扱には注意をされておられましたので、私は岡田氏に忠言をしましたが、逆に岡田氏は私を避けるようになり、私は遂に意を決して中島先生(※5)に指導を求めました。先生は「岡田にやらしときなさい」、小生「このままにしておいたら信者が迷う」と申しましたが「やらしておけばよい。貴男は本部に来なさい」と言われ、私は天国会本部に入ることとなりました。後に岡田氏は国分寺に移転しましたが、後に教会から罷免されました。数年後彼がS界真光文明教団の教主になったのには大変驚いたものです。
※1 この文章はこの方の布教体験を綴られたものである。 ※2 天国会: S界救S教での二大勢力の一派。もう一派は「五六七会(みろくかい)」と呼び、信者数は圧倒的に五六七会の方が多かったが、教団運営に関しては天国会が牛耳っていた。光玉氏は天国会の博愛教会所属であった。 ※3 岡田仲道(おかだちゅうどう)氏: 岡田光玉氏のこと。 ※4 明主様(めいしゅさま): 岡田茂吉氏のこと。光玉氏と茂吉氏は血筋関係ではない。 ※5 中島先生: 天国会の会長。岡田茂吉氏が大本在籍当時から茂吉氏の弟子として仕えた。中島氏は大本時代より霊的事象に関心が強く、それに光玉氏も強く影響を受けているようである。
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