新聞の死亡記事の大きさで、その人の偉大さを計る、 ということをしたのは爆笑問題だ。
新聞の掲載記事の大きさは、確かに意味がある。
昨今では、小さく小さく隅の方に書かれた記事にこそ、 重要で深刻なニュースがある。 そうだから、いつの間にか、小さな記事を注意して読む習慣がついた。
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今日も、 「原子力規制委員長、自民と異例の会談」という小さな記事。
「原子力規制委員長が、自民党の原子力規制に関する プロジェクトチーム座長と会い、チームによる 緊急提言について説明を受けた」、というもの。
原子力規制委員は、独立して意思決定を行うとする理念に基いて、 これまでは政治家と個別に会うことを原則拒否してきたそうである。
しかし、これだけではなんだか解釈のしようがない。
ありがたいことに、この記事を書いた記者は、 解釈の手助けとなる一行を、何とか紙面へはさむことに成功した。
「原発推進の立場から「もっと原発立地自治体や電力会社の意見も聞くべき」とする自民党側の圧力に抗しきれなくなった格好だ。」
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錦の御旗も取り返した。 原子力村は、やはり復活しつつある。
それにしても、重大なことを重大とわかるように掲載しないのは、 新聞社の社会的良識にかかわる問題だよなあ、とひとりごつ。
2004年12月26日(日) 子宝に関する仮定法現在
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