2011年03月29日(火) |
東北関東大震災 諸行無常 |
「水杯」としるした日記から10日近く経って、 言いたいことは一言一句変わっていない。
息子が命がけで背負うようにして連れてきた両親は、 今度は息子を馬車馬に仕立て、韋駄天のごとく被災地に帰ってしまった。
私の好きなやり方ではない。 でも仕方がない。
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メロウな音楽の洪水が一段落すると、 甲子園の喧しさと、芸能人の支援活動やその他の売名行為がメディアを席巻しはじめる。
何も状況は変わっていない。 ただ、皆、もうその事実に耐えられないだけだ。 ホウレンソウや水の奪い合いをして、気を紛らわせたいのだ。
石の棺が全てを覆い隠すまで、緊急事態が解除されることはないし、 その目処はまったくといっていいほどついておらず、 東京電力やその下請け会社は、幹部から作業員に至るまで疲れ果て、判断能力が低下している。
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戦争や災害は、人生のあり方や価値観を全て変えてしまう。
災害が戦争と異なるのは、その日が突然やって来る、ということだ。 付け加えるならば、自然災害は、誰一人発射ボタンを押さなくても、である。
日本列島というのは、思えば安定とは縁遠い島国である。 英国カンブリア地方のような、古生代の土地とは訳が違う。
プレートダイナミズムの真上にあり、地震や津波はある種の宿命である。 また毎年のように台風の通り道となり、洪水や土砂崩れも免れない。
ほとばしり、揺れ動き、うねり続け、 大量の人間や人間の暮らしが、おもちゃのように弄ばれ、完全に失われる。
それが、私たちの祖国なのだ。
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このように、明日をも知れない私達だから、諸行無常やはかなさの精神文化を共有する。
今避難所に暮らす子ども達だって、きっと感じている。
欧米のように物事を明確にせず、淡く曖昧にしておくのは、 どこか奥深くで、「確定」できる根拠を感じられないからではないかと思う。
しかし一方で、近代国家となってから私達は、彼の国のように「いくらかは確定できるもの」を発見した。法律や資本や何かである。
最近でこそ、リーマンショックという激震がはしったが、それさえも、自然の驚異の後では、さざ波のようにみえるではないか。
かくして私達は、日本列島を「いくらかは確定できるもの」で覆いつくしてきた結果、 日本は発展し、西洋風の生活が定着し、 人々は土地の宿命を-自然への畏れを-忘れた。
新幹線はスピードを上げ、本数を増やし、 私達は明るく快適で豊富な生活を楽しみ、 電力会社はニーズに応えるよう、原子力発電所をこしらえた。
忌まわしいほど不安定な島国の上にいることを除けば、 明るい未来への道筋はついていたのである。
だから、国をあげてその忌まわしい事実を忘れ、自己欺瞞におちいった。 積み重ねてきた安心安全の技術が、その後押しをした。
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そうして、3月11日以降の、今現在の私達がある。
このグラグラの汚染された大地と、汚染された海に囲まれた日本人は、 成れの果てという言葉が似合うほど、愚かで、哀れで、惨めでいる。
「東北関東大震災」というのは、地震で揺れた範囲を示すにすぎず、 国家全体が被災している。
絶望は絶望として認識しなければいけない。 メロウな音楽でごまかしてはいけない。
絶望は、終焉とは別である。 終焉ならば、よほど楽である。
2004年03月29日(月) 日記汗
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