2011年02月03日(木) |
ユビキタスというルビンの壺 |
出張の疲れが少しずつほどけていく。 身体的にもそうだが、普段受けない量の情報刺激に晒されることが、 このところは思いの他にくたびれる。
情報化社会にまるでついていかれないばかりか、テレビもない生活を送り、退化の一途をたどっている。
そうだから、まるでルビンの壺かエッシャーのだまし絵のように、 情報化がすすむ世の中の様子が、一般常識とは違う方向から見えてしまう。
例えば、テレビを見ている人、というのは、文字通り 「テレビという受信機から発信される、変化する光源をじっと眺めている人」 というふうに認識されてしまう。
あるいは、そこにいる人がほとんど例外なく−携帯電話だろうがゲーム機だろうが、あるいは何かの誘導板だろうが−何かの液晶画面を凝視している電車の中や街中というのは、 魂を抜かれたゾンビの集団みたいに見えるのである。
自分の目の前にあるものが何も観えていないし、何も聴こえていない。
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感覚のずれに、東京を離れて十年たつことを実感する。
まあそれはそれでよいのだと思う。十年不在の者が違和感なく居られるほど、東京という都市は生易しいところではない。
それに、もう自分の身をおくところは他にあるのだし。
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