浅間日記

2010年10月28日(木) 男はオオカミと説く男

冷え込む朝。
白い息で手をさすりながら、新聞に目を通す。



今年1〜9月の長野県での強姦や強制わいせつなど性犯罪の被害件数のうち女子高校生が被害に遭ったケースが61.8%を占めることを受けて、県警子ども・女性安全対策室の担当者が長野高専(長野市)の学生と女性職員に安全対策などを指導。「下校中、イヤホンで音楽を聞いたり携帯電話の画面を見ていて夢中にならないように」「家に入る際は後ろから襲われないよう、靴を脱ぐ前に玄関の鍵をかける」などと護身のポイントを教えた。と言うニュース。



制服を着たおじさんが、女子高校生に講義している写真がついている。
背後のホワイトボードに、何か書いたりしている。



男女が等しく社会参加することに、私は前向きな方である。
男か女かよりも、その資質を重視したいと、常々おもっている。

だけれども、男に強姦されないように、と女衆に説くのが男であるのは−件の熱心な担当男性には申し訳ないが−、どうもそぐわない感じがする。



異性に対する時、人は誰でも-極めて物理的かつ生理的に-性的関係のポテンシャルをもつ。それ自体は素晴らしいことだ。生殖能力が衰えた老人だって例外ではない。

今の日本の性犯罪は、異性間であることがたいていである。
女は男に、男は女に用心するのが、犯罪防止の心構えである。

だから、性犯罪を減らそうと誠心誠意職務にあたる担当者ですら、異性である以上その大前提にのっかってしまい、リスクのポテンシャルが垣間見えてしまう。

私が件の記事と写真に「そぐわない」と感じたのはそうした理由からである。



社会的立場や職務上の使命感など、性という本質の前では吹けば飛ぶようなものだ。
実際、社会的立場や権力のある男性が性的暴力にはしるケースも多い。

そうだから、男に用心しろ−乃至は女に気をつけろ−と注意を喚起するのは、
同性間のメッセージか、肉親や恋人など、よほど親密な関係の異性であるのが、正しいし効果的だ。

何よりも、男性からの性犯罪から身を守る学習会において、女性は男性を排除する権利がある。

それは弱者のプライドであり、また一方で、男性に対するたしなみ的な部分もある。

2005年10月28日(金) 
2004年10月28日(木) 生死への共感


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