子ども達の遠足の弁当を作りに、暗いうちから家を出る。 子ども51人、大人16人分。 同時並行で、朝食もこしらえる。
鶏を焼き、魚を揚げ、リンゴを四つ割りにし、飯を炊く。 野菜を刻み、納豆をまぜ、味噌汁をこしらえる。 弁当箱を広げ、順々に詰める。 色とりどりの可愛らしい水筒それぞれに、麦茶を入れる。
眠れずに暗いうちに起きた子が、カーテンに巻きついて眺めている。
面倒くさいと直前まで不満を言いながら出てきた身としては、 終了後、恥ずかしいぐらい豊かな気持ちになっていた。
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大人集団として子どもの育ちに関わることができるのは、幸いである。 ただしそれは、骨のいる作業であることは間違いない。
先生と家庭で信頼関係が絶対に必要であるし、 それぞれの家庭の意見を尊重することも求められる。 堅苦しくてもいけないが緊張に欠けるとトラブルが起きる。 お子様の行事でも事業の規模はお子様サイズではない。大金を扱う重大任務もある。 何よりも日常の時間を割かれることについて、妥協しなければいけない。
しかし、これらのクリアすべき面倒な部分そのものが、 子どもを育てることに他ならないのだろう。
親というのは子どもの面倒を見るもので、 面倒をみるのだから面倒くさいに決まっている。 面倒くささと幸せの折り合いをつけながら、大人も親になっていくのだ。
2004年09月04日(土) もてるものとそうでないもの
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