和歌山カレー事件から7年。二審も死刑判決。 98年の事件当時に比べて、かなり鈍い感覚で受け止めている自分に驚く。
ここ数年ですっかり「陰惨な事件」というものに慣れてしまっている。 子どもが子どもを、大人が子どもを、子どもが大人を、考えられないような方法と信じられないような動機で殺める。 そうした事件が、この和歌山カレー事件以後にも、随分起きた。
カレー事件がショッキングで陰惨な事件であることは間違いない。 ただ同等かそれ以上に陰惨な事件が多すぎるので、もう一つの事件ごとに世相を語り、何かを批判し、怒りをぶつけ、危機感を感じる余裕を、こちらが無くしてしまっている、という感じだ。
世の中の問題よりも、自己の維持にプライオリティを置くことは、決して悪いことではない。 そういう自己をキープするのは、「何故こういう閉塞的な世界観を共有しなければならないのか」を考えるために重要だ。
2004年06月29日(火) 三種の神器無用論
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