2005年03月28日(月) |
饒舌教育の効果はありや |
本日も雨。朝からしっとりした山の空気に包まれる。
食育に関する座談会の記事に目を通す。 素晴らしい人が素晴らしいことを言っているのだけれど、 なぜか、この人達は恥ずかしくないんだろうか、などと 失礼なことを思ってしまう。
ぬぐいきれない恥ずかしさ滑稽さの源は、 食べるという本能的行為をわざわざ言葉で語るからなのだろうか。
どうも教育分野というのは饒舌に過ぎウィットにも欠け、私には恥ずかしい。 食べることや芸術文化を楽しむ場合には、言葉なんかいらない。 頭も使わなくていい。 むしろ言葉を呑み込まなければならない必要がある。
崩れてしまった食生活を正したければ、自分が黙って美味そうにこしらえて、 自分で美味そうに食べればいいんである。
「手本を見せる」というのは、物事を教える方法のいろはのいだが、 そういう視点が教育論にあまり感じられないので、恥ずかしいのかもしれない。 今のところそう思っている。
2004年03月28日(日) ボサノバの神様
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