山の家で、真っ白で静かな年明けを過ごす。
新年とともに、皆一同にひとつ年をとるという昔の慣習は、 年の改まり方として、今とは随分異なる感じであったのだろう。 このあたりでは今でも、正月を迎えることを「お年とり」と言っている。
津波のニュースやらの情報が入らないとちょっと気になるね、と父に問うと、 「ぜーんぜん」と一言。この人は年毎に、こういう態度である。 理屈とか理論のもって行き場が、社会から遠ざかりつつある。
リタイアメントの動態観察は、面白くもあり、やや寂しくもある。 親は、当然のことだが自分より数本前の人生列車に乗っているので、 通過している駅も存在する場所も違って当たり前だ。
子ども時代に、憧れをもってその違いを見せ付けられるのに比べ、 自分も既に大人になり、親達が人生の終着を意識しはじめた時のその差分は、 受け入れるこちら側としても、ある種の気合いが必要なのである。
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