浅間日記

2004年09月15日(水) 減れば平和か?増えれば繁栄か?

ロシアのプーチン大統領が相次ぐテロに対し、
中央集権体制を強化する国家機構改革案を発表。
これに欧米が「民主化改革の後退だ」と批判。欧「米」がである。
先日、彼のイラクに大量破壊兵器がなかった、と仰ったパウエル国務長官が、
である。片腹痛いとはこのことだ。


国連人口基金が、世界の人口が63億7760万人と発表。
有史以来の人口の推移を示すこのグラフは、インパクトがある。
まさに、ヒトの異常発生である。

世界の息苦しさは、この現実に源を発するのだ。
そう思うことが、何故か、自分を救う。

ある為政者やあるテロリストやある宗教家やある経済界の人物や、
あるいはそうした人々の集団によって、
この世界は舵取りをされているのではない、ということが。



何かが異常発生した場合のコントロール方法は色々あるが、
最も安易な方法は駆除することである。
雑草や害虫は、化学薬品で大量に殺す。刈り払う。焼き払う。

これに対して、増殖を抑えることは、根気が必要だが、
人間が人間に対して行うには、最も妥当な方法だ。
これが「リプロダクト・ヘルス」「リプロダクト・ライツ」として提唱されている。
国連人口基金の発表する「世界人口白書」によると、
これがどうも十分ではないのらしい。

また、リプロダクト・ライツの保障は、途上国だけの課題ではない。



妊娠出産は当事者となる女性が決定する、性と生殖の健康は権利である、
という聞けば簡単なことが、実はそれほど簡単にゆかない。

10代のセックスで、相手に嫌われることを恐れて避妊をしない子。
結婚して、家族のプレッシャーから子どもをつくろうとする女性。
子どもを産みたいと願っても経済的理由から実現できないケース。
「産めない女は一人前でない」という、根強い価値観。
人工生殖技術や出生前診断がはらんでいる、生命倫理上の様々な問題。

生殖行為というのは、究極の自己愛だ。
当事者である夫婦以外の家族など「第三者」の自己愛を押し付けられる形で
生殖がコントロールされるのは、これは不幸なことだと思う。

妊娠出産は産む女性が決定権を持つ、というこの権利については、
念を押しても押し足らないぐらい、重要かつ揺らぎやすいことである。

まして、政府がおしすすめている少子化対策によって生殖が奨励されるなどは、もちろん論外である。
一般市民が、政治家の自己愛を受容して子産みする理由などない。

大切なのは国民の数ではない、質である。


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