2004年09月14日(火) |
情報とコミットメントのバランス |
目白の田中屋へ。
お祝い用か慰め用か、どちらの用途になるかは未だわからないが、 Hが帰国した際に迎えるため、マッカランの18年を奮発する。 帰国はまだ当分先であるが、良いシングルモルトを入手できるチャンスは それまであまりなさそうなので、決心の末購入。
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ここ数週間の出来事を振り返った記事。 不安や怒りを掻き立てられるものばかりである。ついさっきも。 その中で、イチローの記録更新などは、世間では数少ない、 ささやかな、嬉しい知らせのようである。
イチローみたいな、自分の目標に向かって突っ走る人も、 チェチェン人によるテロとか、幼い兄弟が殺されて川に捨てられた、というような陰惨な事件について、気にしたりするのだろうか。 9.11には色々思いを馳せたりするんだろうか。 それとも、自分の仕事のために、あえて耳をふさいでいるのだろうか。
色々な事件や国際事情について、なぜ知らなければならないか。 知ってどうするのか。もしかして、自分には知らなくてもよいこと、 また処理できないことまで、耳に、目に入るのではないか、と、最近思う。
むろんこういう考えは逃避でしかない。よくない考えだ。 しかしそうしないことには、自分を損なわずに生きていくことがとても困難である。 世界中の悲劇が、容易にかき集められてしまうこの時代に、 本当に私は、どう生きればよいのだろう。
「社会にコミットする気がない人間が、新聞を読むなんてお笑いだね」と、 その昔、新聞を読みながら朝食をとるHを、腹立ち紛れに皮肉ったことがあったが、つまりは、そういうことである。
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